(2019.2.5updated)
勤め先となる図書館で、あるきっかけからポスト構造主義の話になりました。
先駆者、ジル・ドゥルーズ氏の名前を出すと、スタバのコーヒーのサイズの読み方くらい、覚えにくいと言われました。笑
その流れもあり、別の日、また他の図書館員さんに、ライシテって知ってる?と聞かれました。もしかするとパン屋の名前かな、と思いましたが、それはさておき。
日本語にうまく変えられない、共存と共生の違いの問題を扱っている言葉だと教えていただきました。
その方から、白水社の『シャルリ・エブド事件を考える』を勧めていただいたので、書架から拾ってきました。日本十進分類の請求番号は316.1カ
300番台は"政治"、16は"国家と個人"の分類です。
熟練の図書館員の方なら本を手に取らずに、この図書の内容を想像できるんですよね。熟練なら…
ところで、その本の中で話題となるLaïcité(ライシテ)。この言葉は、フランス語で、世俗主義を意味します。
フランスに住む方々には馴染みのある言葉なのだそうです。そもそも、フランス共和国憲法第1条に書かれた内容が、このライシテの主義に基づきます。
"フランスは、不可分の、非宗教的、民主的かつ社会的な共和国である。フランスは、出自、人種あるいは宗教の区別なく、すべての市民の法の前の平等を保障する。"
これが1条の抜粋です。
単に世俗主義というと、日本の文化のように、宗教性を持たない感じに思われますが、そうでなく。
"宗教共生の原理"
なのだそうです。
なぜこの言葉を取り上げたか。
この言葉は、予期せぬところで、同時に両義的な解釈を生んだ言葉だからです。
歴史的には「イスラモフォビア」(ムスリムの差別)との関連を生みました。
例えば、 2004年には、公立学校で、宗教的標章の着用が禁止されましたが、具体的にはイスラム教徒のスカーフ着用が禁止になりました。送り迎えをする親の服装については問われるものではなかったのですが、その後、生徒だけでなく、スカーフそのもの是非が問われるような議論に発展しました。もともと宗教に対する寛容の精神から生まれた方針が、結果的に少数派の文化の抑圧につながる局面を生みました。
今や、Laïcitéは、原義から横滑りして、宗教性の否定などを含意する言葉に変わりつつあるそうです。
ちなみに、 字義に反する意味を、同時にその言葉に含む"差異"の問題は、ポスト構造主義の哲学の話題の一つであり、社会学ではアンビバレンス(=両義的)と形容する、まさにタイムリーな話題でした。
シャルリ・エブド事件の直前に、ラッパーのメディーヌは下記のような歌詞を発表しました。
「マグレブ出身のあんたの髭、この国じゃ好かれないぜ、俺の妹のスカーフ、この国じゃ嫌われる、あんたの黒い信仰もこの国じゃダメだ、ご婦人とご紳士のカップルも、この国じゃ好かれない、みんな天国へ行こう、天国へ行こう…」
....(Dont like と Don’t laïc に二重の意味を含んでいて、後者の意味は「ライシテしない」つまり「宗教色を捨てない」という歌意と解釈できる。言い換えれば、フランスのライシテ(世俗主義)を皮肉るようなリリックになっている。(陣野俊史)
言葉に血を通わせることに大きな価値がある、と思わされる「316.3カ」となりました。迫る2016参議院選でも、誰かからの借り物の言葉でなく、血の通った言葉を語る候補者に、票を投じたいと思わされます。