
第38回MK学習会では、鶴見太郎さんの著作『イスラエルの起源』を取り上げました。
イスラエルといえば、米国と親交の深いユダヤ人国家で、米国には世界のユダヤ人口の半分以上が、本国を除いて現在も居住していると聞きます。
金融界で活躍するユダヤ人のニュースも度々私たちも見聞きするところです。米国誌、Forbesの記事によれば、国内長者番付の上位3割がユダヤ系の方々です。https://forbes.co.il/e/the-worlds-jewish-billionaires-2026-forbes-israel/
本書の主題は、そのユダヤ人の近代史を、ロシアに焦点を当てて捉えたものです。「シオニズム」という語彙は誰もが一度は聞いたことがあるかもしれません。一方で、元々ロシア領に居住していたユダヤ人がイスラエル建国時に、主要な活動を担っていたことは、あまり知られていないと思います。
なお、旧約聖書の『創世記』に、ユダヤ人に約束された土地(カナン)についての言及があります。また同じ旧約聖書の『詩篇』では、シオン(エルサレム)を慕う思いが語られます。この聖典の記述に基けば、シオニストのイスラエル建国の動機が、敬虔な信仰心から生まれたようにも思えます
しかし、本書においてシオニズムの要因として前景化されたのは、忌み嫌われたロシア領のユダヤ人に対する暴力でした。
実は、我々の知るホロコーストの以前から、ポーランドを含むロシア帝国領内で頻発するポグロムに、ユダヤ人は苦しめられました。ロシア語で暴力を意味する"ポグロム"ですが、その略奪と暴力から逃れることがシオニストの動機の一つだったと本書から読解できます。
なお、ユダヤ人の側からすれば、古代・中世から現代に至るまで、ヨーロッパ全体で迫害の犠牲者となってきました。そのことを思えば、ロシア国内で、模索されてきた共存の道が開けるかに思われた一時期(例えば、本書内で明示される1917年の2月革命から10月革命の間)には希望がありました。
そのような、親ユダヤ派と親ロシア派の共存の試みの事例も紹介されております。
一言でユダヤ人と言ってもロシア社会との多岐にわたる関係の中に種々の文化と立場を築いており、単一の歴史としてまとめることは困難です。鶴見氏は、それらのユダヤ人のタイプを5つに分類します。
(本書ではロシア領のユダヤ人の活動をシオニスト右派・左派、ボリシェビキ、ブンド、リベラリスト、あるいは超正統派など多岐にわたる属性を用いて紹介します。本ブログでは割愛...)
ユダヤ人でありながら周囲と衝突なく暮らした人々、ロシア文化圏に溶け込み例えば画家シャガールのように融和した人々。また、自己の民族性に自己同一性を見出しながらロシア文化の中に立脚した人々。あるいはユダヤ人であることを隠蔽するために鼻を整形する人々、そして、ロシア文化に与することを選ばず最終的にシオニズムに合流した人々です。たとえばこれらの人々を、それぞれ併存型、融合型、相補型、不協和音型、矛盾型という風に鶴見氏は区別します。
この類型を用いると、様々な境遇のユダヤ人の思想や態度を捉えられます。本書で注目された、ヴィナヴェル、パスマニク、ジャポティンスキー、ベギン等のユダヤ人活動家の特徴を示すのにも有用です。例えば、ヴィナヴェル(1862-1926年)は、ロシア立憲民主党、カデットに入党した弁護士です。ユダヤ人リベラリストとして活動した人物で、ロシア人とユダヤ人の共存を、法制度を通して目指した人物でした。
上記の分類で言えば相補型の人物だと鶴見氏は捉えます。
また、ジャポティンスキー(1880~1940年)やベギン(1913-1992年)など修正主義シオニストは、矛盾型に分類されました。
彼らにとっては、ユダヤ人の生存のために、軍事力と権力と建国が不可欠でした。なお、ジャボティンスキーは、武力と共に建国を進める修正主義シオニズムの創始者でした。1920年4月、ムスリムの祝祭ナビー・ムーサの集会と衝突し、アラブ人との間に死傷者を出しています。この事件は、当時、イギリス統治領だったエルサレム近郊で生じましたが、イギリス軍は統制する力を残しておらず撤退したことで、状況はさらに悪化したと言われます。もともと積極的な統治姿勢を示すことのなかったイギリスに対する不満を、ジャポティンスキーや、のちに頭角を表すベギンによって抱かれることになりました。
鶴見氏は、現在のイスラエルの首相、ネタニヤフ氏の政治思想が、ジャボティンスキーや、その思想を牽引するベギンの行動の延長線上に位置するとみなし、以下のように記述します。
シオニスト地下組織を率いたベギンは、「委任統治」を続けていたイギリスに牙を剥き、終戦後の1946年にはイギリス軍の司令部が入っていたエルサレムのホテルを爆破するテロ事件を起こす。
…建国後のイスラエルで政治家となり、政権を獲得するに至ったベギンは、アメリカの仲介の元、建国以来イスラエル最大の敵だったエジプトとの和平を推進し、1978年にキャンプ・デーヴィッド合意を締結してノーベル平和賞を受賞するに至る。彼が率いた政党「リクード(統一)」の現在の党首は、イスラエル首相ビンヤミン・ネタニヤフ(1949年生まれ)であり、彼もまたイスラエルの国防を強調している。pp28-29
このような背景に基けば、現在のイスラエルの首相、ベンヤミン・ネタニヤフの属するリクードが、もともと武力的な改革を進めたシオニズムに率いられた党だったことがわかります。
ネタニヤフ首相の強靭な政治的態度を知る上で、本書は具体的な手掛かりとなる資料だと思います。
なお、パレスチナ人に対するいわば暴力的な方法で建国を進めた上述のシオニスト(修正主義・右派)の流れは、多様な関係性を維持できなくなったロシアでの曖昧さの欠乏から促されたと、鶴見氏は分析します。
そもそも、多様な関係を保持する文化圏では、友・敵の区別が曖昧でした。しかし、ひとたび友と味方の区別がなされた環境では、暴力行為が「用意」されるとの旨も述べられます。(イノウエ要約)
選書係の方に選書の理由をお聞きしたところ、戦争など惨憺たる出来事が絶えない今日、「人はもともと、残虐ではないはず。それなのに人々を残忍な状況に陥らせる背景とは何だったのか。」とおっしゃる視点にも頷けるものがありました。
さて、私たちに何ができるか?
という疑問は、難問に直面するときに常に思い浮かぶものですが、この視点に関する思いは、前回のブログにて書き留めましたので割愛します。
ただ、我々の目の前には、日常的な仕事に直面する半分の世界と、もう一つ別の半分の世界が入り口を開いており、片方の世界は非日常で茫漠として、先を見渡すことができないもののように思います。
問題となるのは、その非日常の盲目的な世界が立ち現れたときに、その中へわざわざ片足を踏み出そうとするかどうかです。一見、捉えどころのない幻想にも見えるその半分の世界は、明るく照らされていないどころか、闇の世界のようでもあります。ですが、その世界に足を踏み出すことは、私の日常の仕事の世界と、茫漠とした世界を一つに結ぶことでもあります。その結ぶ紐が、いわば、卓越した洞察とか高度な専門性とか一言で言えば希望だろうと思います。
光の届かない複雑な世界へ踏み出すには一貫した自分自身の軸も必要ですから、そこには相応の技術が必要に思えます。
これは、全く個人の課題ではありますが、そのような思いに囚われた人々や、奮闘する人を応援したく思わされます。今回の著作を通してそれら、芸術とも文学とも括りにくい何かしらの技術を、私自身も追い求めていることを改めて確認できた気がします。
今回の学習会もさまざまな思いを抱く、良い機会となりました。
















