イノウエさん好奇心blog(2018.3.1〜)

MachinoKid Research 「学習会」公式ブログ ゼロから始める「Humanitas/人文科学」研究

『エクソフォニー』(多和田葉子、2003/2012)

 

小島町の自転車

第29回MK学習会 1月17日 
参加者4名

 本書『エクソフォニー』は単行本(2003)と文庫本(2012)が岩波書店より発刊されており、20章で構成された第一部「母語の外へ出る」と第二部「実践編」に分かれている。"エクソフォニー"とは、母語の外に出ることを意味する。この概念が著者にとって創作活動の要であることは、出版社の解説からも伺える。

 本書の書名は耳慣れない言葉です.英語やドイツ語の辞典に掲載されているわけではありませんが,母語の外に出た状態一般を指す言葉であると言えます.このエクソフォニーという言葉は,ドイツ語と日本語の双方で旺盛な創作活動を続けてきた著者にとって,極めて重要な意味を持っています.なぜなら言語の越境とは著者の文学の本質的主題であるからです.(岩波書店HP)

 著者、多和田葉子氏は日本語とドイツ語に精通する小説家であり詩人である。翻訳文学や、言葉遊び、各国の学生と催されるワークショップなど数々のエピソードを、エッセイ形式で本書にまとめる。時には、言語だけでなく、言語の特徴に類似する音楽の性質や、詩の形象的なイメージに着目するなど、文字通り母語の外から俯瞰するように、言語にまつわる諸事情を吟味する。
 一方、記述は多和田氏本人の体験に基づいている。第一部の20の章には、世界中の都市が割り当てられており、その土地での実体験が記述される。内側からも外側からも観察される紀行文は、さながら言語能力という見えない器に、著者の意識を出し入れする「運動」のようである。
 定型の器に収まりきらない、なんらかの性質を捉える躍動的な視点が『エクソフォニー』の随所に語られる。著者の意識は、例えば、牛飼いの歌声に向けられる。

 スイスの山の中で牛飼いが牛を呼んだり、牛の乳を絞る時に「歌う」声の録音を初めて聞いた時には驚いた。生まれてから一度も西洋音楽を聞いたことのない人間が子供の時から毎日、動物とコミュニケーションするための繊細な文法だけを訓練して行ったらこんな声を出せるかもしれないと思った。今の西洋に存在する音階とは縁のない全く別の場所から発声されているのだ。p59(以下文庫版頁数)

 既存の音階という入れ物に属さない牛飼いの歌声を、多和田氏は捕捉する。
 多和田氏の職域とも言えるドイツ文学に対する眼差しも同様である。プロイセンの作家クライストの作品の森鴎外の翻訳に対しては、整理されることへの懸念に著者の意識が向かう。

 鴎外がクライストという作家を日本に早々と紹介したことは素晴らしいが、せっかく古典的バランスを揺るがす新しい言語の可能性を切り開いたクライストの文体を、鴎外の翻訳は刈り込んで形を整えてしまっている。p22

 この引用箇所は、近代化に迫られた当時の日本が背景にあるのだが、翻訳は、原作の持つ表現の軌跡を含める必要がある。原作者の文体を受け継ぐべき翻訳の仕事において、多和田氏の視点からすれば、鴎外はそれを「整えてしまっている」のだ。

 文学者にしても、一人一人の言葉にしても目の前の対象と向き合う真摯な表現は豊かであって、所与の音階や整理された文法では収まらない、といった趣旨が伺える。上手、下手、といった秤だけで判断しがちな我々は、その多義的な性質を、重宝したり育てたりする機会を失いやすい、といったことも想像に難くない。著者は「上手い下手」という評価を懸念するのだが、読み進めるうちに、読者は著者に賛同しないわけにいかないかもしれない。「世界はもっと複雑になっている」という一章で述べられる記述も示唆に富む。

 日本人が外国語と接する時には特にその言語を自分にとってどういう意味を持つものにしていきたいのかを考えないで勉強していることが多いように思う。すると、上手い、下手だけが問題になってしまう。

 『エクソフォニー』は、紀行文であるものの、内向きな体験談に留まることもない。かといって、哲学書のように概念を吟味することもない。執筆業を生業とする一人の作家のありのままの現実の、真摯な記録である、と読めるだろう。自らを泳ぐ魚に見立て、自身の肌(ウロコ)で感じたままを「書き進める」と宣言する著者の導入部分の意向を踏まえると、それも的外れではないだろう。

 かくして本書は、魚になった多和田氏の巨大な海の回遊記という風にも読めるのだが、それだけに学習会の参加者に抱かれた印象も様々だった。それが、豊かな視点に溢れる本書の特徴を裏付けていたように思う。

 皆さま有意義な時間をありがとうございました。

 

 

 

『保守と立憲』(2018, 中島岳志)

第28回MK学習会 12月6日 
参加者4名

 今回の課題図書、『保守と立憲』(2018 )は、本書のために書き下ろされた1章と3章、また、既存の媒体に掲載された過去の記事が編纂され、五つの章で構成される。概ね2011年〜2017年ごろの記事が本書に掲載されるが、雑駁には著者である中島氏の、当時の政権に対する見解と、彼の親しむ哲学的見地が折り重なるように記述されている。

 中島氏の支持する主義は「保守」である。保守主義を支持する以上、記事の掲載された当時の与党政権には批判的である。一方、世間で幅広く適用される保守政権という概念は、その呼称が実態を反映しているとは言い難い。中島氏の提言する「保守」は、グラデュアル(漸進的)な変化を必要とし、人々の声を傾聴するものである。だとすれば、「寛容=リベラル」でなければ、保守にとっては語義矛盾なのである。

 概して、安倍政権は「リベラル」の反語的意を含む「パターナル」となり、国政には、「保守」であって「リベラル」な政党が求められていることがわかる。その政治は「リベラル保守」であるのだが、かつて自民党内部の宏池会がこの系譜だったとも述べられる。この点は、以下の中島氏の作成する政局分布の第II象限に、わかりやすい。

©️Nakajima Takeshi『保守と立憲』

 ところで、歴史的な観点からすれば保守主義は、イギリスの名誉革命フランス革命を比較したエドモンド・バークによって主張されたものである。バークは、前者を保守的として賞賛し、後者の急進的手法を批判する(『フランス革命省察』)。
 以降、19世紀、社会哲学者カール・マンハイムは、政治政党の姿勢を表すものとして、より明瞭に、伝統的な保守的傾向と、政治的な保守主義を位置づけた。と、本書では述べられる。
 中島氏の立場は、何れにしても、グラデュアル(漸進的)な変化を前提とする「保守」であり、「永遠の微調整」という語彙を用いて、この姿勢を叙述する。ちなみに、歌手のUAさんはこの視点に興味を抱き、ご本人の作曲作業にも反映したと、NHKのSwitchインタビューにて語られる。

 この著作の特徴は、保守を語るときに「死者の声」について言及する点である。
 保守がいったい何を守るのか?と問えば、それは「現在の制度」を意味しない。結論から言えば、死者から受け継がれる「正統」である。例えば、本書ではそれを「平凡」という語義に関連づけている。

 平凡なことは非凡なことよりも価値がある。いや、平凡なことの方が非凡なことよりもよほど非凡なのである。『正統とは何か』

G.K.チェスタトン[1874-1936]

 上記引用は、20世紀初頭のエドワード王朝期、小説、随筆、詩、劇など各分野で健筆を振るったイギリスのチェスタトンの言葉である。コトバンクより)

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 なぜ平凡が非凡なのか?
 という問いへの回答はこの著作の主題でもあるだろう。この答えは簡単には記述し難い。本書では、この視点と共に、過去の学者が気に留めた課題や、哲学的主題について、直接的、婉曲的、メタフォリカルに触れている。

 例えば、西部邁にとっての中選挙区制という選挙制度オルテガにとっての専門分化主義への懸念、イギリスにとっての憲法の歴史、ジグムンド・バウマンの描写したリキッド・モダニティにおける共同体のあり方、小林秀雄にとっての雅言、柳田國男にとっての先祖、柳宗悦にとっての民藝、親鸞における正定聚(しょうじょうしゅ)鶴見俊輔にとっての岩床、のどれもが、専門分野において傲慢にならず、打算的になり過ぎず、進歩を信奉しない「停頓の思想」、あるいは「正統」を含むのである。

 「停頓の思想」は、単なる停滞でなく保守の守るべきものであるにせよ、明瞭には言語化しにくい。それは、まるで死者によって語られると言っても言い過ぎでないような曖昧模糊な知見だと思わされる。この知見は、おそらく長い歴史によって抽出された平和と文化の基盤だろう、と想像は広がるものの、実体験が十分に追いつくことを期待したい。 

 

 今回は4名の参加となり、前回の学習会に引き続き、死者と生者の境目を想起するテーマを扱った。今回の死者についての話題も面白かった。

「生きている死者の復活が必要である」「死者は死んだ」といったパワーワードにも舌を巻いた。
 次回は多和田葉子さんの著作を扱います。

 

 

『日本人の身体』(2014, 安田登)

京伝政演画作『艶本枕言葉』

第27回MK学習会 10月14日 
参加者3名

死体。時には生きた体の意にも用いられる。卑語。

 これは、1603年に掲載された和-ポルトガル辞書のとある言葉の意味である。その言葉とは何だろうか。
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正解は、「からだ」である。日葡辞書より

 辞書に卑語とある通り「からだ」は、俗的に用いられた言葉だった。当時、代わりに身体の意味で用いられた語句は「身」である。「からだ」は、その語源が空っぽの「殻」に由来すると本書では述べられるが、当時、精神と対になる「生」の身体の意味では意識されていなかった、と、著者である安田登氏は読み解く。本書では、心と体、意識と無意識のように、明瞭に分化されなかった時代の未分化の概念に着目し、多々取り上げる。また、安田氏は現役の能楽者でもある。能を文化的芸能に飛躍的に高めた世阿弥の視点を通して、夢幻、怨霊、異界の世界についても豊富に触れられており、現世と来世の狭間、あるいは境目と言った領域は、本書の主題の一つだと読めるだろう。

 安田氏はこの間の領域を「あはひの場」と称して着目する。

 時に、「あはひの場」は、男女の間に仕切りを設けない混浴の文化を通しても語られており、本書で掲載される冒頭の画像も象徴的である。ちなみにこの画像は「艶本」からの転用であって、表現に誇張があることは否めないが、当時の文化は伺い知れる。

 また「あはひの場」は、縁側や、軒下など、建築構造、日常のあらゆる事象を通して語られる。
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 聖徳太子の言葉もその一つである。「君子和して同ぜず」という言葉は有名だがここに用いられる「和」の漢字は、もともと「龢」(ヤク)を用いたことはあまり知られていない。

 「龢」という漢字は、様々な音程を持つ笛を一緒に吹き、そこに調和を見出すことを意味するのですp88

 ある文化と別の文化が重なり合う「調和の世界」に、古典芸能や日本人の身体感覚が馴染んでいたことは、想像に難くない。また、短歌の世界にも同様の視点が見られる。

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来ぬ人を 松帆の浦の夕凪に やくや藻塩の身も焦がれつつ 藤原定家 
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 上記の場合は掛詞に着目される。

 来ぬ人を待つ私は、「待つ」の名を持つ「松帆」の浦の夕凪に焼かれる藻塩のように、身も恋い焦がれてあなたを待ち続けているのです p100

 続く安田氏の解説も興味深い。

 私たちはこの「掛詞」を中学校や高校の古典の授業で習うので、勉強の一つとしてスルーしてしまいますが、しかし「掛詞」は単なる修辞技法ではなく、人を変容へと誘う呪詞(まじないことば)なのです。pp100-101

 あわいの場と、呪(まじな)いが関連するとも述べられる。
 風景もまた同様である。

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東の野に炎の立つ見えてへりみすれば月傾きぬ 
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 東野炎立所見而反見爲者月西渡 柿本人麻呂
万葉集 一巻 四十八』 

 ひむがしの のにかげろひの たつみえて かへりみすれば つきかたぶきぬ
読みくだし:賀茂真淵 p127

 この一首は、万葉集から引用されるが、単に情景が描かれただけだろうか。斎藤茂吉からすれば、風景に感情が隠されている。

 「景色の中に感情が隠れている」(茂吉)のは、私自身と景色との間の境がないから(安田)p129

 和歌を通して、あるいは本書を通して生き生きと動き出すような叙情的側面を対象が持つ、ことを伺い知ることができた。
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 本書に触れていない話題はまだまだあるが、ここでは割愛するとして、選書に尽力していただいた司書さんからは、学習会終了後、この会が「あわいの場」のようだ、と、良い言葉を伝えていただいた。また、建築の現場が近代化とともに分業化される中、例えば、朝倉文夫彫塑館についての話題なども参加者から投入され、興味深く思わされた。この建築の過程では、業者が8回も変更されたそうだ。
 分化することと、未分化のまま留まることと、どちらもそれぞれの在り方がある、と思わされる良い学習会だった。
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 次回はエドマンド・バークを研究される中島岳志さんの著作を扱う予定です。

https://twitter.com/nakajima1975?s=20&t=JRKBu77Fad8oxxe18p_ERQ

 

 

 

『暴力批判論』(1994, ヴァルター・ベンヤミン )

ドラえもん公式/instagram

 

第26回MK学習会:5月31日、調布にて開催 
参加者3名

『暴力批判論』(1920, ヴォルター・ベンヤミン, 1994, 訳 野村 修, 岩波文庫

 『暴力批判論』の書かれた1920年、ドイツ共和国は前年にヴァイマル憲法が制定され、ヴァイマル共和国と呼ばれていた。この時、議会の過半数を占めたドイツ社会民主党は、そもそも暴力を背景にその座に着いた政権だったが、新政権下で暴力は禁じられた。当時の対立政党は、国民社会主義ドイツ労働者党 で、1921年に、ヒトラーが代表に就任するナチスである。この頃、ゼネストを牽引する労働組合の反政府主義いわゆる、サンディカリズムが興隆しており、議会に対して一定の勢力を持っていた。本書を読む限り、ベンヤミンは、この労働者の革命的ゼネストに関しては、どうやら否定していない節がある。

 ところで、現代の法的秩序を鑑みれば、どのような場合の暴力も許されないことを、ベンヤミンは指摘している。

現代ヨーロッパの法関係は、権利主体としての個人について言えば、場合によっては暴力をもって合目的的に追及されうる個人の自然目的を、どんな場合にも許容しないことを、特徴的な傾向としている。P34
(自然目的:生まれ持った人間の権利を守る目的)

 私たちの日常的な感覚も、どのような場合も暴力は控えるべきだと考えるのが普通だろう。しかし、例外に着目すれば、正しい目的の暴力が存在することに気がつかされる。

 例えば、強盗に襲われた時に身を守る抵抗の暴力だ。それは、正当防衛であって、正当な目的を持っている(と考えている)。一方、正しい目的の暴力があるとしても、すべての暴力が許されるわけではない。止むを得ずの暴力も、実際には程度問題に直面するからだ。

 ベンヤミンは、この暴力(行為)の限度や、適法性について、下記のように考察する。結論から言えば、適用される客観的な尺度は存在しない。

 暴力批判論では、実定法の尺度は適用されるのではなく、むしろ、もっぱら判定されるのである。そのような尺度ないし区別がそもそも可能だとすれば、暴力の本質はいったいどう言うものになるのかーー言い換えれば、そのような区別の意味は何なのかーーこれが問題なのだ。P32

 合法性と違法性の間の境界線がどのように定まるかは、『暴力批判論』の主要なテーマの一つである。現代の実定法は、主権者の目的を十分に顧慮するよりも、法の維持、あるいは権力の維持を目的とする場合も少なからずある。従って、目的そのものではなく、目的と手段の実際の関係を精緻に理解することが、ベンヤミンにとっては暴力の正当性を理解するための近道なのだ。

 暴力批判論の課題は、暴力と、法および正義との関係を描くことだ、と言って良いだろう。…まず法の概念について言えば、あらゆる法秩序の最も根底的で基本的な関係は、目的と手段との関係である。そして暴力は、さしあたっては目的の領域にではなく、もっぱら手段の領域に見出される。P29

 正しい目的の暴力があったとしても、手段の適法性の基準は、(明文化された)実定法の中に書き記されてはいない。この場合には、暴力の生じた情状を具に鑑みて、その行為が妥当か否かを斟酌する必要がある。(本書では「戒律」を通して示唆される)

 本書に描かれる、法と暴力の関係性に明るければ、世界中で絶え間無く続く紛争の原因や、身近に起こる衝突の、より実態に近い因果関係に着目できる。もし、目的の正しさだけを主張して、手段の妥当性を見失う時には、正義のつもりになって人に危害を加えたり、その人々の行き過ぎを指摘するための適性な判断基準を失うことになる、というわけだ。

 暴力批判論が示した言葉でよく知られる言葉に、神的暴力神話的暴力があるが、この二元論の中には、上記のような法についての力学が吟味されている。そのため、明瞭にされた出来合いの言葉を覚えるよりは、その背後の関係性に思いを巡らせる方が、ベンヤミンの主旨、『暴力批判論』の描く克明な現実を、グッと理解しやすくなるはずである。

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3回にわたって取り上げたベンヤミンでしたが、次回は彼の著作から一旦離れ、『日本人の身体』(著者:安田登さん)について、学びたいと思います。

前回の学習会

 

 



『パサージュ論 III』(2020,ヴァルター・ベンヤミン)

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2019.11_Paris


第25回MK学習会:11月26日、調布にて開催

参加者3名

 

 ヴァルター・ベンヤミンの書き留めた『パサージュ論』[DAS PASSAGEN-WERK](1928~1940)は、A~Zまで異なる見出しが設けられており、各項目には、それぞれに関連する種々な引用が詳細な典拠とともに編纂されている。欠番はあるものの、当時の生活様式や風習が描かれており、本書はさながら習俗資料集である。

 一方、『パサージュ論』は、ナチスの検閲と戦禍を免れ、1982年になり独・出版社ズールカンプから発行されるまで、J.バタイユ始めとする文人たちの協力が欠かせなかった。以上の経緯は、前回の学習会からも学べたが、こうした経緯を含めパサージュ論』が単なる資料集でないことは容易に理解できる。出版に腐心した彼らの労力を通しても、ベンヤミンの記述を通しても、資料集というよりは思想書としての性格をより強く含んでいるのだが、やはりこの著作をどのように分類して良いかは、簡単に結論できないように思う。

 前回、パサージュ論の『概要』において、都市の発展と人々の葛藤について学んだが、今回取り上げる第3巻では、NとSの項目からベンヤミンの歴史概念について読解に取り組んだ。

 

『パサージュ論 III』(岩波文庫

S. 映画、ユーゲントシュティー

「歴史の残骸そのもので歴史を創造する」レミ・ド・グールモン P428 

歴史学の構成は軍隊の秩序になぞらえられる。つまりそこでは真の生が苛まれ兵舎に入れられるのだ。これに対して、挿話(アネクドーテ)とは街頭蜂起である。挿話は事態を空間的に我々の方にグッと引き寄せ、我々の生の中に立ち入らせる。一切を抽象化してしまう「感情移入」を要求する歴史学と、挿話は鋭い対象をなす。S1a,3

 上記の「歴史学」が言及する歴史とは、記録として残された歴史である。歴史の背景に消された事象は無数にあるが、存在したはずの事柄が、もし顧慮されるとすれば、その手がかりをベンヤミンは、アネクドーテに求める。
 アネクドーテとは挿話、あるいは逸話と訳される。その事実性は保証されず、史実としても残らない。歴史学とは「鋭い対象をなす」のだが、なぜアネクドーテが対象なのか、また、どのように歴史に関与するのか、そして、歴史について書かれる項目が、なぜ、ユーゲント・シュテール(仏語のアール・ヌーヴォー)の見出しを持つ、この項目に記述されるのか、理解し難い点かもしれない。

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Anecdote:
 ①小話。逸話。
 ②ブレジネフ時代のソ連で盛んになった政治諷刺小話。広辞苑 第7巻』

語源
 古代ギリシャ語 an-(否定)+ekdotos(公表した),「公にされていない話」の意..
*1

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 一方、ベンヤミン歴史観は下記のようにも読める。19世紀に到来した意匠様式であるユーゲント・シュティール(アール・ヌーヴォー)は、主に植物を題材に、自然界に見られる種々な形状を抽象化して意匠に取り込む様式をなしている。*2 この意匠は、決して歴史的様式を折衷することなく、取捨選択により大胆にモティーフを切り捨てる。残された特徴が形象に反映されるゆえ、歴史と形象と、どちらにおいても捨象されたものの痕跡が見えてくる。
 ベンヤミンの歴史概念が光をあてたのは、この捨てられた部分に対してだと見立てれば、
歴史の概念と意匠は関連してくる。関連するばかりか、レミ・ド・グールモンの「歴史の残骸そのもので歴史を創造する」という引用は、この論稿の核心のように感じさせられる。

N. 認識論に関して、進歩の理論

 唯物論的歴史叙述において構成される事象はそれ自体として弁証法的形象である。この形象は歴史的(historisch)事象と同一である。そしてこの形象は、歴史の流れの連続性から歴史的事象が偶然によってもぎ取られたことを正当化する。N10a,3

 「認識論に関して、進歩の理論」と題されたNの項目では、上記のように、弁証法的形象という言葉が用いられる。この箇所は、歴史が単に弁証法の連続によって叙述されるのではなく、意匠様式に見られるように「偶然によってもぎ取られた」ことを表明する。
 「もぎ取られた」歴史はどの程度、客観的なのか。
仮に客観性が約束されないのなら、歴史とアネクドーテとは、単に歴史に残るか残らないかの違いにすぎないのかもしれない。何れにしても、アネクドーテに関するベンヤミンの眼差しは、その矛先が「」に向けられる。

 Sの項目では、歴史は軍隊の秩序に、アネクドーテは街頭蜂起に見立てられた。アネクドーテにおいては、我々の方にグッと引き寄せ、我々の生の中に立ち入らせる」のである。
 捨てられつつある歴史をどのように捕捉するか、というベンヤミンの関心事は随所に見られる。下記の引用からは、「救い」の概念が、「風」という言葉によって言及される。

「救い」の概念について。概念という帆にあたる絶対的なものからの風(風の原理は循環である)。帆の角度は相対的なものである。N9,3 

 とある。

 ベンヤミンは、歴史と形象が遺棄する言わば"屑"のような事柄に、「街頭蜂起」のような性格を見出し、同時に、風をうける側の相対的な角度によって「救い」の概念を見出している。ベンヤミン歴史観に、相対的な「生」との結び付きが欠かせないことが見えてくる。「生きる」こととパサージュ論の試みは、隣接している。あるいは、「生」に入り込んでくる性質によって、歴史の屑が拾われる、と言う視点が見えると思う。

この仕事の方法は文学的モンタージュである。私の方から語ることは何もない。ただ見せるだけだ。価値のあるものだけを抜き取るというようなことは一切しないし、気の利いた表現を我が物にするようなこともしない。そうではなく、ぼろくずにーーそれらの目録をつくるのではなく、ただ唯一可能なやり方でそれらに正統な位置を与えたいのだ。つまり、それらを用いるというやり方で。N1a,8

 ぼろや屑を、ことさら手厚くもてなすことをしない理由が重視されるのも、それが「生」を引き込む方法だから、と見立てれば、街頭蜂起や、救いの概念といった上述の表記は、理解しやすい。そして、我々の日常の些細な出来事の中に、この視点がありありと見出される。

(略)…些細な出来事にこそ永遠に同一のものがありありと現れる、ということが示さねばならない。S1a,2

 ベンヤミン歴史観について見てきたが、上記のような仮説を、引き続き吟味しつつ、今後もパサージュ論の理解を深めていきたい。学習会では「『パサージュ論』は歴史書ではないか」という意見も出たが、それも納得感のある視点だった。

*1:Siedeno語源英和辞典』

*2:アール・ヌーヴォー | 現代美術用語辞典ver.2.0

『パサージュ論 I, IV』(2020, ヴァルター・ベンヤミン)

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2019年パリ

10月5日

参加者3名

 

 2021年2月よりNHK大河ドラマ『青天を衝け』が始まり、明治初期に活躍した渋沢栄一の勇姿を見ることができる。1867年、渋沢はパリ万博へ訪れるのだが、このパリ万博を中心とした渡仏経験によって、渋沢は日本にまだ見られない資本主義の基本的な仕組みを学んだと言われる。

 ところで当時のパリ万博そのものは、まだ生まれて間もない社会主義思想の影響を受けていた。産業によって階級の上下を問わず豊かになることを目指す社会主義の思想いわゆる、サン=シモン主義が当時のパリに浸透していたと、いくつもの資料が示している。したがって、資本主義の父とも謳われる渋沢栄一の学んだ経済思想は、実は、初期の社会主義だったということになる。

 

 今回の学習会では『パサージュ論』を2冊取り上げたが、その理由はこのサン=シモンへの好奇心があった。この人を始め、フーリエマルクスと、当時の社会主義思想家の項目が、パサージュ論4巻に用意されており、また1巻には、全5巻に渡る『パサージュ論』の全体を見渡す『概要』が用意されている。

 1巻の『概要』は欠かせないとのアドバイスも頂き、今回は思い切って2冊ともに学習会の課題図書とした。それぞれ該当箇所は各巻のうちの一部だが、おかげで緊急事態宣言での休会中の期間も、充実した時間となった。
 『概要』は、ドイツ語版と、内容の若干異なるフランス語版とがあり、扱われる題材は多岐にわたる。仏詩人ボードレールアレゴリーについて描かれ、思想家ブランキの憂鬱が描かれ、パリ万博の華やかさが描かれている。どの題材も、パリの都市計画の期待と衰退に関連して描かれており、結局は、ニーチェ永劫回帰が描かれている。この記述だけを見れば何を言ってるか見当がつかないかもしれないが、気になる方は本書を読まれることを薦めたい。

 

 著者、ヴァルター・ベンヤミン (Walter Benjamin 1892~1940)は、ドイツ国籍のユダヤ人である。彼はナチスに追われ、若くして、ピレネー山中にて自害する。それまで、彼自身が残してきた原稿については、その安否を最後まで気に留めていたことが知られている。学習会の後に知ったことだが、亡くなる6日前にも同じドイツ国籍のユダヤ人哲学者ハンナ・アーレントと会っており、自筆の草稿(『歴史の概念について』)を、彼女に託している。

 なお、これらの原稿はベンヤミンの死後も発行されないままだった。アーレントはその状況を憂慮し、自らの手で原稿を複写し、出版にまでこぎ着けており、この時の彼女の奮闘を、岩波新書ヴァルター・ベンヤミン』(柿木伸之)より、知ることができる。

 生前、ベンヤミンは、『パサージュ論』の原稿が検閲により破棄されることを恐れていた。しかし、現在、我々がこの原稿を読むことができるのは、亡命前に、フランス国立図書館の司書、ジョルジュ・バタイユによって原稿が保管されたからである。ベンヤミン交友関係にあったバタイユは依頼を受け、図書館内に原稿を隠し、当局の目から遠ざけ、さらに第二次大戦ののちに再びそれらを見つけ出し、欠番はあったものの、これらが編纂されて出版に至った。最初の『パサージュ論』が発行されたのは1982年になってのことだった。

 岩波現代文庫からは2003年に出版され、岩波文庫からは2020年に発刊され、新刊が出たのを機に、学習会でも取り上げることとなった。

 ベンヤミンの著作を、容易に購入できる我々にとっては、身に沁みるものがある。そんな『パサージュ論』である。

 

 ベンヤミンについて少し紹介させて頂くと、辞書には下記のようにある。

 ドイツの批評家。フランクフルト学派に属し、独自の美学的象徴論や寓意論を展開。ナチ時代は亡命地のパリなどでマルクス主義的芸術論や社会史研究を行う。パリ陥落後、逃亡の途上ピレネー山中で自殺。著「ドイツ悲劇の根源」「パサージュ論」など。広辞苑 第7版

 彼は寓意論を展開したことで知られる。寓意、すなわちアレゴリーになぜ着目したのか、と言う点にここでも着目したいと思う。

 ベンヤミンの頻繁に引用する仏詩人ボードレールも、このアレゴリーを好んで用いた。彼らが着目した寓意論は、おそらく『パサージュ論』を理解する上で鍵になる。鍵になるばかりか、私たちの生活に現れる美術品にも商品にもアレゴリーが結び付いており、そこに多様な相が生まれる。この良いとも悪いとも判別しにくい現実を、彼の寓意論は私たちに突きつけてくる。

 Allegory アレゴリー(=寓意)とは、言い換えれば、比喩であり、この著作では象徴と異なるものである。

アレゴリー:喩(タトエ)。比喩。諷喩。寓意。特に、18世紀以降には象徴と対比して用いられ、他の観念を一義的に示唆する記号や表現法と見なされた。広辞苑 第七版

 18世紀以降にアレゴリーは、象徴と対比して用いられた。なお、20世紀を代表する哲学者ハイデガーの記述を参考にすれば、アレゴリーは芸術作品にとって不可欠である。

…物的なものに付帯しているこの別のものが、芸術的なものを為すのである。確かに芸術作品は製造されたものであはあるが、しかしそれはさらに単なる物そのものとは何か別のもののことを言っている。すなわち、アロ・アゴレウェイ(別のものをいう(άλλο αγορεύει))である。作品は、別のもののことを公表し、別のものを明らかにする。つまり、作品とはアレゴリー(寓意)なのである。P15『芸術作品の根源』

 一方で、アレゴリーへ対する軽蔑が生じている。下記の記述を参考にしたい。

 アレゴリーというかくも精神的なジャンルを、不器用な画家たちのせいで、我々は軽蔑する習慣が身についてしまっているが、これは、まさに詩の原初的で最も自然な形態の一つであり、陶酔によって掲示される知性において、その正当な支配力を取り戻すのでる。」ボードレール『人工天国』(ボードレールの念頭にあるのが、実際にアレゴリーであって、象徴ではないということはこれに続く箇所からも疑問の余地なく明らかである。)寓意家としての蒐集家。p21『パサージュ論2』

 アレゴリーへの軽蔑はまず、美術作品に見られたと言う。宗教画は寓意的である、あるいは美術史に現れた象徴主義と言った流れもある。こと、『パサージュ論』においては、仏の諷刺画家グランヴィル(1803~1847)の寓意的表現に注目しており、この画家の洗練された寓意的表現の行くつく世界が描かれている。しかし、この画家の最後は、まがりなりにも良いものとしては記述されない。アレゴリーの両義性に我々は直面することになる。

 一方、学術的な記述にとっても、アレゴリーは忌避される傾向がある。

 アレゴリー比喩であり、なにものも証明しない。それは論証の技法としては力不足だからだ。アレゴリーによって、事物と事物を結びつける抽象概念を、別の共通項に結びつけることができる。しかし、その一連の結び付けは、だれかの主観を通してなされる。寓意による譬え話や物語は、人々に何らかの様相を示すことができる一方で、客体化された事実を明らかにできない。

 ところで、18世紀以降、アレゴリーとシンボルが区分された。仮にこの区別を、幻想に結びつく記号と、事実に結びつく記号と言う風に区分すれば、一旦は、説明がつきやすいかもしれない。が、この詳細な考察は、他の場で行いたいと思う。例えば、米の論理学者パース(1839-1914)が行った記号論の分析からも多くの知見が得られるはずだ。

 

 何れにしても重要なのは、ベンヤミンボードレールも、いっときは衰退したかに思えたアレゴリーの主観的表現そのものの価値を見直すところである。ベンヤミン「その正当な支配を取り戻す」という言葉を引用する時、アレゴリーの深みや意義を再提示している、と思えてくる。アレゴリーは商品に付加価値を与えつつ、都市に幻想を生み出すが、その一方で、この幻の中に潜む危うさも同時に露呈するからだ。

 そのようなアレゴリーの両犠牲に着目して検討される政治哲学や都市計画に着目しなければ、現代社会の重要な問題は十分には咀嚼できないと、推察せずにはいられない。少なくとも、このような現代的な役目を「アレゴリー」が請け負うと考えれば、いよいよ、ベンヤミンの仕事が現代に受け継がれた意味も理解できる。

 

 と言うわけで、今回の学習会は、意見交換を踏まえて、上記のような仮説にも思いが広がる良い時間となった。

 2003年、2020年と長い期間を経ずに出版された『パサージュ論』だが、岩波書店の思惑も気になるところだ。

 何より、ベンヤミンの知見に触れ、頭の中には、それまでなかった寓意表現への好奇心の扉が開かれた気がする。それは、好奇心の扉、あるいは、都市の発展に不可欠な散歩者への扉、かもしれない。

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 余談:

 一昨日、神保町の元・岩波ブックセンターの跡地に寄ってみると、ブックカフェに変わっていた。岩波の書籍に囲まれて飲食ができる。たまには行ってみようと思う。

 また、来年1月より岩波ホールにてジョージア映画祭が開催されるとの情報も…

www.iwanami-hall.com

 

『ゴッホの手紙』(2020, 小林秀雄)

 

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高校時代に見て驚いた『星月夜』

update:文体修正 10/15

【マチノキッド学習会23:終了】

 テーマ図書:『ゴッホの手紙』(2020 小林秀雄 新潮社文庫)
 参加:3名(透明シートで隔てコロナ対策)

 今回のテーマ図書は、小林秀雄著『ゴッホの手紙』である。本書は、新潮社版『小林秀雄全集』及び『小林秀雄作品』を底本としたもので、1948~52年の『文体』や『芸術新潮』に掲載された論評や、55年~58年の朝日新聞芸術新潮文藝春秋など、多岐にわたる媒体に掲載された論稿が収録されている。なお、2017年にみすず書房より『ファン・ゴッホの手紙』が出版されたが、他に類を見ないと言われる膨大な告白文を残したゴッホの全書簡を、こちらの著作から見ることができる。

 いずれにしても、近年、出版されたゴッホ関連の書籍や、ゴッホを主題とした映画の製作状況を見ると、今もなお尽きない現代人のゴッホへの関心の高さが伺える。

 

 ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ(Vincent van Gogh, 1853~1890)は、オランダ南部ズンデルトで生まれ、のちに、後期印象派を代表する画家となった。生前はほとんど認められなかったことでも知られている。

 まだ絵描きになっていない27歳の時、彼はこのような手紙を残している。

「慎重に考えた上の推定だが、僕はあと6年と10年の間くらいしか生きられない」(No.309)(『ゴッホの手紙』P24)  

 そう書き残した10年後に、本当に彼は他界する。弟テオの妻、ボンゲル夫人の回想録によれば「ロンドンで働いていた時(22歳)、ゴッホはひどい失恋を経験し、性格がまるで変わってしまった」*1そうである。

 後に、聖職者を志したゴッホだったが、下記にあるように失望している。

 「皆にあんなにしゃぶられたキリストより、ルナン(仏・宗教史家)のキリストの方がどれほど慰めになるか。恋愛だって同じことではないか…」(No.587)(同書 P147)

 26歳で聖職者への道を断念したゴッホだが、死期を予想したのが27歳であることから、その背景にはこうした挫折があったということになる。そして絵描きの道へ進む。

 いったい、どれほどの心境だったのか、我々には理解できない。小林氏は、ゴッホを「理解」するということから一旦、離れ、「もう私の注釈などの余地はないようである」(同書,P156)と書き、特にサン・レミイの診療所に移ってからは、ゴッホの書簡だけを、著作の中で並べている。

 なお、理解し難いものへ対する小林氏の視点について、この著作の中では頻繁に言及されるのだが、例えば、前半部分、「悪条件とは何か」で始まる小林氏の文章は、当時、触れることのできなかったゴッホの原画や原文に配慮されており、その切実さが下記のように語られる。

 悪条件とは何か

 文学は翻訳で読み、音楽はレコードで聴き、絵は複製でみる。誰も彼もが、そうしてきたのだ、少なくとも、凡そ近代芸術に関する僕等の最初の開眼は、そういう経験に頼ってなされたのである。翻訳文化という軽蔑的な言葉がしばしば人の口に上る。

 もっともな言い分であるが、尤もも過ぎれば嘘になる。近代の日本文化が翻訳文化であるということと、僕らの喜びも悲しみもその中にしかありえなかったし、現在もまだないということとは違うのである。

  どのような事態であれ、文化の現実の事態というものは、僕等にとって問題であり課題であるより先に、僕等が生きるために、あれこれののっぴきならない形で与えられた食料である。誰しも、或る一種、名伏し難いものを糧として生きてきたのであって、翻訳文化というような一観念を食って生きてきたわけではない。

 当たり前のことだが、この方は当たり前すぎて嘘になるようなことは決してないのである。この当たり前なことを当り前に考えれば考えるほど、翻訳文化などという脆弱な言葉は、凡庸な文明批評家の脆弱な精神の中に、うまく収まっていればそれで良いとさえ思われてくる。愛情のない批判者ほど間違うものはない。現に食べている食物をなぜひたすらまずいと考えるのか…(同書、P11)

 それしかないのであれば、そこにあるものから確固たるものを受け取ろうとする、小林氏の姿勢が読みとれる。  

 原文に触れられないという悪条件と、常人では理解し難いゴッホという人間と、単に、併列に論じられないが、上記を踏まえれば、このように考えられるかもしれない。

 これらが人々の理解の届かない類の対象として見れば、不可解な存在に対するプリミティブな本能を、この著作は的確に描写しているように思える。

 本人でも到底理解のできない癲癇や発作…を、自分自身の中に持つ人間が、自画像にこだわった理由に小林氏は着目したが、ここでは、得体の知れない対象に向き合った一人の画家の姿が描かれている。

 ともかく、そういう場合のゴッホの意識、それも意識という言葉を使って良いとすればですが、その場合のゴッホの純粋な意識こそ、彼の自画像の本質的な意味を為すものでしょう。(同書, P208)

 私たちの日常生活の中でも、不可解なものや、不条理なものに遭遇する。隣人に対してそれらを見出すかもしれない。何れにしても、名伏し難いものをどのように糧とするか。は、(それらを、異質なものとみなして排除するか、糧とみなすかは)私たちの問題だろう。それが後の人生に大きく影響するかもしれない。読解することは社会の複雑さを生きることと同義だとさえ思えてくる。読みやすいとは決して言えない著作だが、その意味で、真摯なものへの道筋が用意されている、正真正銘の良著だろう。

 最後に、1963年出版の『ゴッホの書簡全集』(みすず書房)に寄せられた小林秀雄のことばを抜粋して、次回に、繋げたいと思う。次回は、ヴァルター・ベンヤミンの著作を取り上げる。

 ゴッホの言語的表現には、全く比類を絶したものがある。手紙の終わるところから、絵が始まり、絵の終わるところから手紙が始まる。そういうより他ないもの、いわば、人間には人間を超えるあるものがある、という強い鋭い感覚を、もしゴッホの絵を愛している人々がこの書簡全集を読めば、得ることができると、私は思っている。

 小林秀雄

 

 

 

 

*1:(同書, P14)