イノウエさん好奇心blog(2018.3.1〜)

MachinoKid Research 「学習会」公式ブログ ゼロから始める「Humanitas/人文科学」研究

『それを真の名で呼ぶならば』(2020 レベッカ・ソルニット)

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 (Updated.8.1)

 レベッカ・ソルニットのいう「無邪気な冷笑=Naive cynicism」を、人は誰もが経験していると言えそうだ。なぜなら、この人がこれだけ言うのだから。
 「わからない」ことを恐れる自分が、どこかにいるはずなのだ。

 今回のマチノキッド学習会では、
レベッカ・ソルニット(1961~)著『それを真の名で呼ぶならば』(2020 岩波書店を取り上げさせていただきました。

 とあるシンクタンクの統計、社会の通説、ご意見番の主張など、それらを見聞きして、短絡的に判断をして、本来なら可能性の芽があった自分の未来を諦めてしまうことがあるのかもしれない。 

 そう思わせるような、下記の記述に目が止まりました。

 私たちは、ニュースメディアなどの社会通念の提供者たちが、過去より未来を報告したがる時代に生きている。

 彼らは世論調査をし、続いてどうなるかを報じるために誤った分析をする。黒人の大統領候補が選挙に勝つのは不可能だとか…
 私たちの方も、そうした予言を甘んじて受け入れている。彼らが最も報じたくないのは、「実際にはわからない」ということだ。『それを真の名で呼ぶならば』P66

 評論家以外の人々もまた、…非常に強い確信をもって、過去の失敗、現在の不可能性、そして未来の必然性を宣告する。

 こういった発言の背後にあるマインドセットを、私は「無邪気な冷笑」と呼ぶ。  

 …冷笑は、何よりもまず自分をアピールするスタイルの一種だ。

 冷笑家は、…ニュアンスや複雑さを明確な二元論に押し込もうとする…

 私が「無邪気な冷笑」を懸念するのは、それが過去と未来を平坦にしてしまうからであり、社会活動への参加や、公の場で対話する意欲、そして、白と黒の間にある灰色の識別、曖昧さと両面性、不確実さ、未知、ことをなす好機についての知的な会話をする意欲すら減少させてしまうからだ。 
『同書』 P67

 上記の、シニシズム=冷笑、に加え、さらに、自由主義社会のもと発生する「孤独のイデオロギー」や、その他の的確だと思わされる様々なコラムを通して、現代の症状に彼女は名をつけていきます。
 ますます、曖昧なこと、不確実なこと、未知なことへの関心が高まるのでした。
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*『孤独のイデオロギー』に関する引用を追加

 …物事は他の物事につながっておらず、人も他の人につながっておらず、すべては繋がっていない方が良いのだという思想が見つかる。
 彼らの核になっている価値観は、各人の自由と自己責任だ。つまり、自分は一人きりであり、自分がやりたいことは自分でやる、というものだ。
 ありとあらゆる不合理な考え方は、この「輝かしい断絶」から生まれる。この世界観に従えば、真実でさえ、セルフ・メイド・マンが自分に都合が良いように創作してもかまわない独立したものだという結論に達する。
 これが私たちが未だに保守と呼んでいる、現代のイデオロギーである。『同書』P54

孤立のイデオロギーを前進させ続けているのは極端さである…

 そして、孤立主義者は自由市場の原理主義を継続させるという真実を好む。ブッシュ時代の勝利主義の熱狂の最中に、ある匿名の上級顧問(多分カール・ローヴであろう)が、ロン・サスキンド
「我々は今、帝国である。我々が行動するとき、我々は現実を作るのだ」と語った…
 「自由」とは、自分の選択肢を制限するものが何も無くなることの言い換えにすぎない。『同書』P64

 誰でも生まれる時は医療機関に世話になり、日常生活では様々な製品やサービスの恩恵を受けているので、孤立主義者はその事実をどう捉えるのか、疑問です。が、現実は複雑です。

 とある気候変動対策運動のグループが、エルニーニョの発生と熱帯地域の紛争回数との相関関係について、プレスリリースを発表した際の話です。

 プレスリリースを受け取ったのと同じ週、エクソンモービル社が方針報告書を公表した。
 …エクソンは「我が社の全ての炭化水素鉱床は、現在も今後も「取り残される」ことはないという自信があります。我々は、これらの資源を生産するのは、全世界の増加するエネルギー需要に応えるためにも必要不可欠だと確信しています」と書いた。
 「取り残された資源」とは、地下にまだ残っている石炭、石油、天然ガスなど近未来中に採掘して燃やすことを決めないと無価値になってしまう化石燃料資源のことだ。『同書』P107 

 「世界の需要のための必要性」を強調することで、気候変動の原因を問題にせず、採掘を貫く大企業の姿勢が描かれています。アメリカのパリ条約を脱退した理由も思い出されます。

 経済性や必要性と、人命や環境保全とを、どう両立させていくか。という視点に立てば、今のコロナ禍にも視野は広がります。

 休業補償がなければ店は閉められない、という飲食店オーナーの現状も、どちらも、合意形成に必要な対策が十分に講じられていない点では通じるものがあります。
 Co2削減問題と温暖化の因果関係に専門家の意見も分かれている現状ですが、相反する立場の主張を思えば、本当に起きていることが視野に入ってくるように思います。
拙い感想となり、結論があるわけではないですが、

『それを真の名で呼ぶならば』
 読み応えのある著作でした。 

 

 それを,真の名で呼ぶならば: 危機の時代と言葉の力