イノウエさん好奇心blog(2018.3.1〜)

MachinoKid Research 「学習会」公式ブログ ゼロから始める「Humanitas/人文科学」研究

『近代政治哲学』(國分功一郎, 2015)

 

高幡不動あじさい祭り)

 

第31回MK学習会 8月17日 
参加者4名

『近代政治哲学』(筑摩書房、2015)について取り上げました。

 このMK学習会では、選書係の方にテーマ図書を選んでいただき、参加者はテーマ図書を各々のペースで読み、当日、レジュメを読み進めながら感想を出し合います。(レジュメは本文を抜粋したもの)
 なお、今回はこのような感想が出ました。

「興奮して読みました」

「参考文献が充実している」

「授業を受けているようだった」

というものもあれば、

「大学生にとって内容が難しすぎるのでは?」

 といったものもあり様々でした。

 選書の理由は、第19回学習会『コロナ時代の哲学』(國分・大澤)で取り上げた國分さんの論旨が興味深かったこと、それに加えて「政治哲学」の入門書としても良いだろう、といったものでした。

 確かに今回は、政治哲学にまつわる西洋思想史の大枠を知ることができたと思います。この思想史を振り返れば、1648年のウェストファリア条約の締結に始まり、以降、トマス・ホッブズ(1588-1678)をはじめとする社会契約論で知られる哲学、あるいは、主権国家の正統性を付与する哲学が、学者ごとに特徴を異にすることを知りました。

 ホッブズはもともと人間が生まれた時から備わる権利、いわゆる「自然権」の放棄を社会契約の条件としたのに対し、スピノザ(1632-1677)は放棄ではなく同意によって裏付けます。さらにこの契約は、ホッブズのような一回性のものではなく、常に見直される反復的契約論(國分)だったことなど、さまざまなロジックが当時の人々を説伏したと想像します。

「国家論に関して私とホッブズとの間にどんな相違があるかとお尋ねでしたが、その相違は次の点にあります。すなわち私は自然権を常にそっくりそのまま保持させています」。(『スピノザ往復書簡』1995 岩波文庫 150頁)p80『近代政治哲学』

 上記のスピノザの言葉からわかるのは、自然権と法律の関係です。例えば、スピノザにとっては、徴税などの法律に順じなければならない社会契約は、権力者によって一方的に強いられるものではありませんでした。強制というよりも、市民は自然権を、それを保持したまま各々の役割の範囲で活用するものと考えられたからです。

スピノザ自然権の考え方からは、それぞれの個体が自らの規則や法則をうまく理解し、それを活用することで己の活動能力を増大させるという発想が導き出される。これはスピノザが主著の『エチカ』で展開した考え方である。p77『同書』

 概ね、今回の著作は、上述のように法権力の正統性について過去の哲学者の見解と変遷を辿ることで構成されています。出版年は2015年。日本の国会も混迷を極めている時期でした。それが現政権の制度設計の是非と重なり、歴史的経緯と比較されながら民主主義の望まれる姿を検討していきます。

 かくして、西洋政治思想史にとって代表的と思われる7人(ボダン、ホッブズスピノザ、ロック、ルソー、ヒューム、カント)の政治哲学が本書で扱われ、現政権に欠けている何かを模索します。例えば、憲法の正統性の根拠、行政の暴走を抑制する政治体制についてです。
 この点は、「君主に罪を問えるか?」という疑問や、「立法権と執行権を分離するにはどうすれば良いか?」という疑問に形を変えて着目されます。今の政治制度にも同旨の疑問が投げかけられる本書の中心的な話題でした。

 なお、國分さんが担っていた高崎経済大学での講義を元に、平易な文体で書かれており、興味ある方にはオススメの一冊です。

 また、モンテスキューを取り上げなかったことに気が止まりましたが、理由は、行政と立法、二つの権力の違いを明瞭にしたかったからだとイノウエは推察するところです。