イノウエさん好奇心blog(2018.3.1〜)

MachinoKid Research 「学習会」公式ブログ ゼロから始める「Humanitas/人文科学」研究

『人間とは何か』(1971 エリック・ホッファー)

f:id:Inoue3:20210303114258p:plain

Stanford Univ. カフェ内の詩の掲示

今回の学習会は

『人間とは何か』
(1971 [First Things, Last Things] エリック・ホッファー 2003 訳 中川淳 河出書房新社)を取り上げました。

(米国務省に招かれたペルーの政府要人に向けて)
"…サンフランシスコは気に入ったかと尋ねてみると、かなり気に入ったが、ゴールデン・ゲート・パークには嫌悪を感じたという答えが返ってきた。なぜいたずらに自然に手を加えてしまうのか、人工の湖、人工の小川、人口の山、人工の滝、こうしたものは自然に対する冒涜である、アメリカ人は自然に対する尊敬の念を欠いており、勝手気ままに手を加えてしまう、というのであった。

 それに対して私(ホッファー)はこう答えた。「ペルーではインカ人が何世紀もかけて大変な苦闘をして築き上げたもの全てが、再び自然に奪い返されてしまった。テラス、運河、道路、橋、都市、といった素晴らしいもの全てが荒れ果ててしまった。自然があなたたちの口元からパンをかすめとっている。ペルーにとっては自然とどう取り組むかが唯一の問題だ。ペルーをゴールデン・ゲート・パークと化することこそ夢見るべきである。それなのにあなたはパリの学生時代に吹き込まれた陳腐な戯言を並べ立てて自然を讃えている。」

 …そのあとしばらくして、私は偶然に、当時ペルーの大統領であったフェルナンド・ベラウデ・テリーFerdenando Belaude Terryの演説を読んだ。道路開通式に臨んでの演説であったが、大統領はこう結んでいた。「ペルーの敵は自然である。」"P41

 この著作は、自然保護と都市開発の干渉する事例や、はたまたエリート層と労働者階級の対比を通じて、私たちが失いかけている(らしい)ある視点について論じます。

 謎めいた主張を展開しているようなホッファーの語りが随所に見られます。「現代において発見された謎の一つに、革命が革命的でない、という逆説がある。」P102 などです。

 「謎」と言及するのはご本人なので、これを大げさに思う方もいるかもしれませんが、「過去数十年間における最も革命的な変化は、非革命的な諸国に起こっている」(同項)と、ホッファーは続けます。

 このような非革命的な革命的変化とは何なのでしょうか。ふと思い出されたのは、例えば、明治維新が革命に近かったでしょうか。それまでの封建制度が一新され「万機公論に決すべし」と、民主制が標榜されました。ですが実際には、参政権は限られていますし、一部のエリートによって日本は帝国主義へと導かれた、と指摘されることもあります(雑駁で恐縮です)。見方によっては、この状況では、革命は本質的な改革を果たせなかったと、言えるかもしれません。

 一方、経済にとってはどうでしょうか。国内に資本主義が導入されました。現在、大河ドラマでおなじみの渋沢栄一氏は、フランスからサン=シモン主義を学び、国内の殖産興業に尽力しました。労働環境を整え、人々の雇用の安定化を図るなど、十分な功績を社会に残したと思われます。資本主義によってもたらされた劇的な経済的改革は、「革命的な変化」に当たるでしょうか。

 ホッファーは、渋沢栄一を直接、論じたわけではありませんが、関連する論旨に以下のような見方が提示されます。

"19世紀の初頭、サン=シモンは、工業時代の到来を「人間の管理からものの管理へ」の移行と特徴づけた。しかし、産業革命がそのコースを走破した途端に、ものの管理から人間の管理への逆転が起こることを彼は予見しえなかった。" P80

 ここでもホッファーは否定的な様子です。つまり、労働環境が改善され、雇用が充実しただけでは、足りないのです。このような視点は、世間一般の常識からは分かりにくいのではないでしょうか。

 ホッファーが「謎」と言ったり「予見しえない」と言ったりするとき、その言葉を理解する際には、上記で語られる「人間の管理」が何かを理解しなければ、変化が何かもわからないと思います。冒頭の抜粋にあるように、都市と自然が対立する際に、ホッファーは開発を否定しませんでした。それは知識人として、環境保全団体からも批判を浴びるでしょうし、奇妙に思われるかもしれません。ですが、同時にこうも言います。

“この原因は、自然が人間の外に存在するばかりでなく人間のうちにも存在することにある。都市は、人間の内なる激情、内なる原始的衝動、内なる残忍さ、つまり人間精神の暗い穴倉に巣食っている破壊的な力から、人間を解放してはいない。

…バルタサール・グラシアンの言葉がかつてなく真実味を帯びてくる「真の野獣は大多数の人間が生活しているところに存在する」” P44

 ホッファーが、自然と都市の対立を、人間の内なる自然との対立の問題と見ていることが読めると思います。さらに人間の原始的衝動とは、「刺激的なもの」や「模倣」に対応していることが論じられていきます。

 “今の若者は理想に燃えている。しかし、その理想主義は、困難と複雑さを明らかにする思想を無視してしまう ” P115

 “刹那的な充足と刹那的な解決を切望している世代が、何か永続的な価値のあるものを創造しうるかどうか、疑問である。刹那性は動物界の特徴であり、動物は何かを感知すると化学反応の素早さを持って行動を起こす。…ロバートウーリック Robert Ulichは、『ザ・ヒューマン・キャリア The Human Career』の中で、…次のように強調している。

 文明の勃興にとって、刺激と行動との間に一定の間隔を置く人間の能力ほど重要なものはない。この感覚の間に、熟慮、視野、客観性--内省的頭脳の高度な成果すべて--が生まれる」” P117

 と、ここまで引用してみると、徐々に何を言おうとしているのか、わかってくるように思います。

 ホッファーは、人間が刺激的感覚に支配されないためにどうするか、という解決の道筋を、自然をどう克服するか、という論点と重ねていることがわかります。

 すると、この人にとって「自然とどう取り組むかが唯一の問題」なのです。

 図書の後半部分では、若者や後進国に、アメリカの知識人が「模倣」を広めることへ対して、警鐘を鳴らします。ここも、上記と同様に「刹那性や刺激」が人間精神に対立したように、「模倣」も抑圧を生むものとして描かれます。論旨は一貫しており、現代を通して人間の向かう方向性を示唆すると思えるので、その点では、優れた見識だと思わされました。

 波止場で寝泊まりをする沖仲仕の時代から、劣悪な環境で過ごした経験を通して、自然の厳しさを知っているホッファーならではの、独特の視点かと思います。その生活の中で、培った彼の生命力は、また別の視点から興味が膨らみます。

 次回は、『ゴッホの手紙』(小林秀雄)を取り上げたいと思います。