イノウエさん好奇心blog(2018.3.1〜)

MachinoKid Research 「学習会」公式ブログ ゼロから始める「Humanitas/人文科学」研究

『人間とは何か』(1971 エリック・ホッファー)

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Stanford Univ. カフェ内の詩の掲示

今回の学習会は

『人間とは何か』
(1971 [First Things, Last Things] エリック・ホッファー 2003 訳 中川淳 河出書房新社)を取り上げました。

 本作は、自然保護と都市開発の対立や、はたまたエリート層と労働者階級の対比を通じて、私たちが失いかけている、とある視点について論じられます。

 謎めいた主張を展開しているような、ホッファーの語りが随所に見られますが、例えば、「現代において発見された謎の一つに、革命が革命的でない、という逆説がある。」P102 などの主張を通して展開されます。
 「謎」と言及するのこの主張は、
「過去数十年間における最も革命的な変化は、非革命的な諸国に起こっている」(同項)と続くのですが…

 このような非革命的な革命的変化とは何なのでしょうか。

 ふと思い出されたのは、例えば、明治維新です。それまでの封建制度が一新され「万機公論に決すべし」と、民主制が標榜されつつも、現実的には一部のエリートによって日本は帝国主義へと導かれたとも言われます。見方によっては、革命は、本質的な改革を果たせていません。経済については、どうでしょうか。

 維新後、資本主義が導入されました。現在、大河ドラマで取り沙汰される渋沢栄一氏は、フランスからサン=シモン主義を学び、国内の殖産興業に尽力したと言われます。労働環境を整え、人々の雇用の安定化を図るなど社会に貢献しました。資本主義によってもたらされた劇的な経済的改革は、「革命的な変化」に当たるでしょうか。

 渋沢栄一が直面したしたサン=シモン主義について、ホッファーの言葉の中に、関連する論旨があります。

"19世紀の初頭、サン=シモンは、工業時代の到来を「人間の管理からものの管理へ」の移行と特徴づけた。しかし、産業革命がそのコースを走破した途端に、ものの管理から人間の管理への逆転が起こることを彼は予見しえなかった。" P80

 ホッファーが「謎」と言ったり「予見しえない」と言ったりするとき、その言葉を理解するためには、おそらく、上記で語られる「人間の管理」が、意味する内容を理解するのが得策に思えます。

“この原因は、自然が人間の外に存在するばかりでなく人間のうちにも存在することにある。都市は、人間の内なる激情、内なる原始的衝動、内なる残忍さ、つまり人間精神の暗い穴倉に巣食っている破壊的な力から、人間を解放してはいない。

…バルタサール・グラシアンの言葉がかつてなく真実味を帯びてくる「真の野獣は大多数の人間が生活しているところに存在する」” P44

 ホッファーが、自然と都市の対立を、人間の内なる自然との対立の問題と見ていることが読めると思います。
 さらに人間の"原始的衝動"とは、「刺激的なもの」や「模倣」に対応しているようです。

 “今の若者は理想に燃えている。しかし、その理想主義は、困難と複雑さを明らかにする思想を無視してしまう ” P115

 “刹那的な充足と刹那的な解決を切望している世代が、何か永続的な価値のあるものを創造しうるかどうか、疑問である。刹那性は動物界の特徴であり、動物は何かを感知すると化学反応の素早さを持って行動を起こす。…ロバートウーリック Robert Ulichは、『ザ・ヒューマン・キャリア The Human Career』の中で、…次のように強調している。

 文明の勃興にとって、刺激と行動との間に一定の間隔を置く人間の能力ほど重要なものはない。この感覚の間に、熟慮、視野、客観性--内省的頭脳の高度な成果すべて--が生まれる」” P117

 と、ここまで引用してみると、徐々に何を言おうとしているのか、わかってくるように思います。

 ホッファーは、人間が刺激的感覚に支配されないためにどうするか、という解決の道筋を、自然をどう克服するか、という論点と重ねていることがわかります。

 すると、この人にとって「自然とどう取り組むかが唯一の問題」なのです。

 

 波止場で寝泊まりをする沖仲仕の時代から、劣悪な環境で過ごした経験を通して、自然の厳しさを知っているホッファーならではの、独特の視点かと思います。その生活の中で、培った彼の生命力は、また別の視点から興味が膨らみます。

 次回は、『ゴッホの手紙』(小林秀雄)を取り上げたいと思います。