第30回MK学習会 5月19日
参加者4名
『正統とは何か』(春秋社、1973)について取り上げました。このMK学習会は、テーマ図書を各自できる範囲で読み、当日は自由に感想を出し合います。今回、例えばこのような意見が出ました
「非常に面白かった」
「どの章も刺さった」
「キリスト教に入信しそうになった」
というものもあれば、
「なかなか読み進めなかった」
「著者の批判が妥当なのか疑問だった」
「批判の相手にバーナード・ショーがいるものの、この人はノーベル文学賞まで授与された人で、残された肖像を見れば非常にイケメンです。察するに、著者は強いコンプレックスの持ち主だったのでは?」
といったものもあり、様々でした。
ところでこの図書を選んだ理由は、第28回学習会『保守と立憲』の中で、下記のG.K.チェスタトン のフレーズを引用していたからでした。著者、中島岳志さんの保守の思想は、チェスタトン の「正統」を背景に持つことがこの著作から分かります。
ところで、保守と言えば政治的立場を表す言葉ですし、本書の中で語られる正統とはキリスト教を背景に持つ言葉なので、別物のように見えます。その上、チェスタトン は本書を著した14年後にイギリス国教会からカソリックに改宗します。なので、「正統」は、キリスト教の教義に関わる専門用語に見えますが。むしろ、どの社会にも通用する特に平凡な環境で用いられる言葉であることがチェスタトン の主張です。『正統とは何か』以降、本書は保守思想の手本として脚光を浴びることとなりました。
いくつか有名なフレーズがあります。
"平凡なことは非凡なことよりも価値がある"
Ordinaly things are more valuable than extraordinary things
“伝統とはあらゆる階級のうち最も陽の目を見ぬ階級、我々が祖先に投票権を与えることを意味するのである。死者の民主主義なのだ”
Tradition means giving votes to the most obscure of all classes, our ancestors. It is the democracy of the dead.
などです。
これらはどのような状況で語られたのか。例えば下記の文脈に現れます。
“私のいう民主主義の原則とは何かを説明しておこう。それは二つの命題に要約できる。第一はこういうことだ。つまり、あらゆる人間に共通な物事は、ある特定の人間にしか関係のない物事よりも重要だということである。平凡なことは非凡なことよりも価値がある。いや、平凡なことの方が非凡なことよりもよほど非凡なのである。人間のそのものの方が個々の人間よりはるかに我々の畏怖を引き起こす。p73
例えば、教会のオルガニストになるとか、羊皮紙に細密画を描くとか、北極の探検とか(あきもせずに相変わらず後を絶たないが)、飛行機の曲乗り、あるいは、王立天文台長になることとかーーこういうことはみな民主主義とは似ても似つかぬ。というそのわけは、こういうことは、うまくやってくれるのでなければ、そもそも誰かにやってもらいたいなどとは誰も思わぬからである。民主主義に似ているものはむしろ正反対で、自分で恋文を書くとか、自分で鼻を噛むと言ったことなのだ。こういうことは、別に上手くやってくれるのでなくとも、誰も皆自分でやってもらいたいからである。p74”
現今の諸事雑事を問題にする場合、いやしくも平凡人の一致した意見を重視するのであれば、歴史や伝説を問題にする場合、いやしくもそれを無視すべき理由はない。つまり、伝統とは、選挙権の時間的拡大と定義してよろしいのである。伝統とは、あらゆる階級のうち最も陽の目を見ぬ階級、われわれが祖先に投票権を与えることを意味するのである。死者の民主主義なのだ。p76
といったようなものでした。
「平凡」というキーワードと「正統」という語句は、ほとんど同水準で語られており、興味深いです。チェスタトン のことをネットで調べれば様々な引用が検索に引っかかりますが、その多くは、『正統とは何か』からのものです。そう言う視点でも、本書を楽しめるのではないかと思います。
ちなみに本書を熟読すると、どんなメリットがあるでしょう。
平易に言えば、下記のようなメリットが得られると思いますが、あくまでもイノウエ個人の感想です。
本書を熟読すると、以前より少し寛容になります。
本書を熟読すると、以前より少し今居る場所を好きになります。
本書を熟読すると、以前より少し世の中の不条理が減ります。
本書を熟読すると、以前より少し健康になる気がします。
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Gilbert Keith Chesterton
(1874―1936)
イギリスの作家。20世紀初頭のエドワード王朝期に、小説、随筆、評論、詩、劇などの各分野に健筆を振るい、その著作は生涯に100冊を超えた。1922年ローマ・カトリックに改宗。ベロックと並ぶカトリックの文筆指導者として、ショーやウェルズらと論戦を交わしたが、よき友人でもあった。彼の信仰表白は『アッシジの聖フランシス』(1922)、『永遠の人』(1925)、『聖トマス・アクィナス』(1933)などに詳しい。
これとは別に、カトリック司祭の素人(しろうと)名探偵を主人公にした推理小説の連作、たとえば『ブラウン神父の無実』(1911)などで人気を博した。詩集には『白馬のバラッド』(1911)があり、評論ではブラウニング、ディケンズらビクトリア朝文学者に関するもの、とくに『文学におけるビクトリア朝』(1913)が著名。
[川崎寿彦](日本大百科全書<ニッポニカ>)
こちらはバーナード・ショー
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英単語の学習にもこの著作が選出されていますね