イノウエさん好奇心blog(2018.3.1〜)

MachinoKid Research 「学習会」公式ブログ ゼロから始める「Humanitas/人文科学」研究

『エクソフォニー』(多和田葉子、2003, 2012)

 

小島町の自転車

第29回MK学習会 1月17日 
参加者4名

 

 今回も普段からのメンバーで課題図書をもとに感想ベースで意見を交わしました。
 それぞれの視点も興味深いものでしたが、このブログでは、ひとまず、本書の内容を要約します。

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 本書『エクソフォニー』は単行本(2003)と文庫本(2012)が岩波書店より発刊されており、20章で構成された第一部「母語の外へ出る」と第二部「実践編」に分かれている。"エクソフォニー"とは、母語の外に出ることを意味する。この概念が著者にとって創作活動の要であることは、出版社の解説からも伺える。

 本書の書名は耳慣れない言葉です.英語やドイツ語の辞典に掲載されているわけではありませんが,母語の外に出た状態一般を指す言葉であると言えます.このエクソフォニーという言葉は,ドイツ語と日本語の双方で旺盛な創作活動を続けてきた著者にとって,極めて重要な意味を持っています.なぜなら言語の越境とは著者の文学の本質的主題であるからです.(岩波書店HP)

 著者、多和田葉子氏は日本語とドイツ語に精通する小説家であり詩人である。翻訳文学や、言葉遊び、各国の学生と催されるワークショップなど数々のエピソードを、エッセイ形式で本書にまとめる。時には、言語だけでなく、言語の特徴に類似する音楽の性質や、詩の形象的なイメージに着目するなど、文字通り母語の外から俯瞰するように、言語にまつわる諸事情を吟味する。
 一方、記述は多和田氏本人の体験に基づいている。第一部の20の章には、世界中の都市が割り当てられており、その土地での実体験が記述される。内側からも外側からも観察される紀行文は、さながら言語能力という見えない器に、著者の意識を出し入れする「運動」のようである。
 定型の器に収まりきらない、なんらかの性質を捉える躍動的な視点が『エクソフォニー』の随所に語られる。著者の意識は、例えば、牛飼いの歌声に向けられる。

 スイスの山の中で牛飼いが牛を呼んだり、牛の乳を絞る時に「歌う」声の録音を初めて聞いた時には驚いた。生まれてから一度も西洋音楽を聞いたことのない人間が子供の時から毎日、動物とコミュニケーションするための繊細な文法だけを訓練して行ったらこんな声を出せるかもしれないと思った。今の西洋に存在する音階とは縁のない全く別の場所から発声されているのだ。p59(以下文庫版頁数)

 既存の音階という入れ物に属さない牛飼いの歌声を、多和田氏は捕捉する。
 多和田氏の職域とも言えるドイツ文学に対する眼差しも同様である。プロイセンの作家クライストの作品の森鴎外の翻訳に対しては、整理されることへの懸念に著者の意識が向かう。

 鴎外がクライストという作家を日本に早々と紹介したことは素晴らしいが、せっかく古典的バランスを揺るがす新しい言語の可能性を切り開いたクライストの文体を、鴎外の翻訳は刈り込んで形を整えてしまっている。p22

 この引用箇所は、近代化に迫られた当時の日本が背景にあるのだが、翻訳は、原作の持つ表現の軌跡を含める必要がある。原作者の文体を受け継ぐべき翻訳の仕事において、多和田氏の視点からすれば、鴎外はそれを「整えてしまっている」のだ。

 文学者にしても、一人一人の言葉にしても目の前の対象と向き合う真摯な表現は豊かであって、所与の音階や整理された文法では収まらない、といった趣旨が伺える。上手、下手、といった秤だけで判断しがちな我々は、その多義的な性質を、重宝したり育てたりする機会を失いやすい、といったことも想像に難くない。著者は「上手い下手」という評価を懸念するのだが、読み進めるうちに、読者は著者に賛同しないわけにいかないかもしれない。「世界はもっと複雑になっている」という一章で述べられる記述も示唆に富む。

 日本人が外国語と接する時には特にその言語を自分にとってどういう意味を持つものにしていきたいのかを考えないで勉強していることが多いように思う。すると、上手い、下手だけが問題になってしまう。

 『エクソフォニー』は、紀行文であるものの、内向きな体験談に留まることもない。かといって、哲学書のように概念を吟味することもない。執筆業を生業とする一人の作家のありのままの現実の、真摯な記録である、と読めるだろう。自らを泳ぐ魚に見立て、自身の肌(ウロコ)で感じたままを「書き進める」と宣言する著者の導入部分の意向を踏まえると、それも的外れではないだろう。

 かくして本書は、魚になった多和田氏の巨大な海の回遊記という風にも読めるのだが、それだけに学習会の参加者に抱かれた印象も様々だった。それが、豊かな視点に溢れる本書の特徴を裏付けていたように思う。

 皆さま有意義な時間をありがとうございました。