7月30日
マチノキッドリサーチの学習会では、新潮文庫『人間の建設』(2010)を取り上げました。
数学者の岡潔(1901~1978)氏と評論家の小林秀雄(1902~1983)氏との昭和40年の対談録です。
学習会では、希望者の作成したレジュメを中心に話題を取り上げ、参加者と雑談しながら進行します。他には、こちらの関連資料も活用しました。
・小林秀雄の肉声音源
・「知情意」と「真善美」が和訳された西周全集
・関連書籍・・・夏目漱石『文芸の哲学的基礎』etc.
『人間の建設』では、多岐に渡るエピソードが取り上げられます。
アインシュタインとベルクソンについて。
ピカソやゴッホやモネー について。
相反する命題が両立する話など。
なかでも、お二人が、常に気を留めた点を一つ挙げるとすれば情緒についてです。それも自己中心的な個性と、個性の基の主観の関係で語られる情緒。
どちらも個性に関わるものですが、この違いを、お二人は峻別していきます✨
(人には)固有の色というものがある。その個性は自己中心に考えられたものだと思っている。本当はもっと深いところから来るものである… 『人間の建設』P14
原始的時代が僕の記憶の中にあるのです。…もういっぺんそこにつからないと、電気がつかないことがある。あまり人為的なことをやっていますと、人間は弱るんです。弱るから、そこへ帰ろうということが起こってくる。『同書』P133
「深いところから来る固有の色」、「人為的ではない原始の記憶」、このような語句が人の情緒を表す際に用いられており、興味深いです。
また、情緒に関連して、感情を土台に据えた抽象と、そうでない抽象が何なのかも語られます。
ポアンカレの先生にエルミートという数学者がいましたが、ポアンカレは、エルミートの語るや、いかなる抽象的な概念といえども、なお生けるが如くであったと言っておりますが、そう言う時は、抽象的と言う気がしない。対象の内容が超自然界の実在であるあいだはよいのです。それを越えますと、内容が空疎になります。
『同書』P25
哲学用語らしき語句、「超自然界の実在」と指摘がありますが、実感のある観念を意味しつつ、それ以上の意味を含むようです。
この辺の用語はポスト構造主義以降の、思弁的実在論などと関係するでしょうか?興味深いところです。
いずれにしても、人の主観の奥深いところの実在に、岡が触れていることがわかります。
さらに、記憶にまつわる話は、このような言葉の中に描かれます。
芭蕉に「不易流行」という有名な言葉がありますね。徘徊には不易と流行とが両方必要だと言う。幼時を思い出さない詩人というものはいないのです、一人もいないのです。そうしないと詩的言語というものが成立しないのです。『同書』P132
c.f『不易流行』蕉風俳諧の理念の一。新古を超越した落ち着きのあるものが不易,そのときどきの風尚に従って斬新さを発揮したものが流行と説かれる。不易と流行とは根元において結合すべきであるとするもの。(コトバンク)
過去の古典も常に流行を取り入れていたと読めそうです。何となくわかるような気もします。
上記のような抜粋は、雑多なテーマを扱っているようで、彼らの着想は常に、主観の深いところと関係します。
意識するかしないかの深層へ言及しますので、概念化しずらい領域についての話題になったと思いますが、世間に知られているような概念、例えば無意識や美学という言葉を使用せず、印象としては、お二人の自分なりの言葉が編まれていたように思いました。
皆さんにも、おすすめしたい一冊でした。
みずみずしい文章に触れられるかと思います。