
第34回MK学習会 6月14日
参加者4名
『記憶の政治』(橋本伸也 2016 岩波書店)を取り上げました。
今回の著作は、バルト三国の歴史、あるいは旧・ソ連とドイツに翻弄された東欧諸国の歴史についての文献です。選書をお願いしているIさんのご興味に委ねて、選書をお願いさせて頂きましたが本作を通じて、ほんの一部ながら執筆者、橋本伸也氏の研究に対する真摯な眼差しをうかがい知ることができました。橋本氏はバルト三国など東欧だけではなく最終的には(エピローグにて)日本に向けられた諸外国からの批判の現状も描いており、さながら『記憶の政治』と題された本書のテーマが、世界に通じる課題であることもわかるようでした。
学習会の中では、ハンガリーの「TERRORの館」の資料をお持ち頂いたり、「犠牲者性ナショナリズム」についての資料を確認したりなど、著作以外の資料もご用意いただき効果的でした。今回は、前半と後半でレジュメの担当を変えるなどの工夫も取り入れて、進行した次第です。毎回のことながら様々意見交換をすることできました。なお、細部にわたる記録が専門書特有の読みにくさを呈しているかもしれませんが、参加者みなさま、学習会の機会のおかげか、読みこんでおられました(サスガ!)
著作の内容については、本書は、プロローグに始まり、4つの章とエピローグで編纂されます。二つの世界大戦に挟まれた時期、いわゆる戦間期に、スターリニズムとナチズムの攻防に翻弄されるバルト三国、ポーランド、周辺諸国における難題が描かれます。強制移住に強いられるソ連赤軍と協力するか、あるいは敵対するナチス側の兵士と協力するかは、自国を守るための、およそ不可避な選択でした。
ナチスに抗して奮闘した親ロシア兵は、「大祖国戦争」の英雄として賞賛され、戦後には、一転して実刑判決の対象となる兵士もおりました。エストニア国内には、赤軍兵士を称える「ブロンズの兵士」像も作られます。これを都市部から郊外へ移設することを求めた反ロシア勢力との間で、2007年に死者を伴う衝突にも発展します。*1
一方、バルト三国のナチス側に協力した者も、ソ連のファシズムから祖国を解放する戦士として賞賛されます。この勢力も記念碑を設立しますが、数日後に当局によって撤去されます。*2
独ソそれぞれの協力者の側から見た、記念碑の設置の是非を通してだけでも、市民の分断の歴史を伺い知ることができます。
一方で、歴史に翻弄されないための指標が何かといった視点も、本書に通底する主題だと思われます。第4章では、ラトヴィアのとある村、マジエ・パティで起きた凄惨な事件への言及がありました。この事件についての、戦争裁判のプロセスが描かれるのですが、ラトヴィア国内の小法廷/大法廷、欧州人権裁判所の小法廷/大法廷での度重なる審理が上記の指標の問題に重なります。
判決は二転三転しました。見方によれば、世の中の不条理が表面化されたように見えるかもしれません。ですが、法廷は淡々と正当性のありかを審理します。ここでは、専門領域で簡単に、読解できないとしても裁判官の理由づけの根拠が、詳細に描かれており、その判定の妥当性や現実性を、第三者から確認できるものとなっていると思います。
万能ではないものの、人々の培った冷静な見解や公正な基準といった司法の視点が、希望的視点として描かれていると、私見を抱くことになりました。
今回、学習会を通して世界情勢の現在の認識をある程度、拡張することができましたし、良い機会となりました。日本の終戦記念日、8月15日は諸外国では9月2日だということも本書から知りました。9月2日まで北方領土では紛争が続いたことも重要だと本書では指摘されます。国民に知られた方が良い歴史と、そうでない歴史と、他国でのそれとは異なるといったことも伺い知れる、第33回目の学習会となりました。選書係の方、ありがとうございました。
ところで、先日、エストニア(のTARTU)に在住する母親の友人にハガキを手渡されたそうです。見せてもらったところ、エストニアの歴史的名所がハガキに表に描かれており、その裏面のキャプションは、なんと4ヶ国語が用いられておりました。
1.ドイツ語、2.英語、3.エストニア語、4.ロシア語という風に。
差出人のアイヴェさんが実家に遊びにいらしたとき、私もご挨拶させてもらったのですが、彼女の名前について、「日本語のあ行で、全部言えるね」と、母が伝えたところ、アイヴェさんが驚きつつ喜んでいたのを思い出します。その絵ハガキをこちらに掲載。ご参考まで。


*1
2007年「ブロンズの夜」
1947年にエストニア首都タリンの都市部で除幕された「ブロンズの兵士」の移設に伴い生じた争い。タリン郊外の戦没者の墓付近に移設。
*2
2000年反ロシアのエストニア兵士をモチーフにした記念碑がバルヌにて撤去され、2004年、再びリフラにて設置される。