
昨晩は大宮駅周辺で一泊し、早朝の新幹線でここ金沢駅まで辿り着きました。
金沢を訪れた理由はとある会合に参加するためだったのですが、この会には不思議なご縁があります。というのも高校を卒業してから数年を経過したある日、確か20代を迎えてから間もない頃でした。母校の都立三鷹高校の図書館の夢を見たのですが、その夢の中で私はベンチに横になり、さらにまた居眠りをしておりました。無意識の中で見る夢ですから、ハリウッド映画さながら複雑な伏線を回収するような劇的な物語に発展しても不思議ではないかもしれません。が、実際のところ単に図書館で目が覚め、書棚から一冊の本を手に取るというあっけない夢でした。内容はそれだけです。ただ手に取った本の著者が印象的だったのです。著者は「キェルケゴール」、19世紀のデンマークの哲学者です。不思議なのは、この哲学者の著作に関して当時何も知らなかったことでした。夢が覚めた後、キェルケゴール?と、疑問に思ったのを記憶しています。それ以前の記憶は、名前をうっすら聞いたことがあった程度のものでした。
あの夢から二十数年が経ちました。この度、金沢で開催される会合は「キェルケゴール協会学術大会」です。井上は、当時まるで知らなかったキェルケゴールについて現在では、翻訳を通して最低限の理解を深めつつ、いつの間にか発表者の役目まで担わせて頂くことになりました。冒頭の縁というのは、その程度のものですが、現在になりあの夢に追いついたような思いが致します。
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以下、雑駁ながら発表内容の報告です。
今回の発表内容は「Gjentagelsen」に関わります。よく読めないこの単語は、デンマーク語に特有の語義で「前方に向けて追憶する」、あるいは「未来を追憶する」という不思議な文脈を背景に抱きます。和訳では通常「反復」、英訳では「Repetition」と訳されますが、デンマーク語の語義を翻訳できてはいません。
「反復」は哲学の中で頻繁に引用されます。大学の授業ではジル・ドゥルーズの教え子、宇野邦一先生が、『差異と反復』(1968,ドゥルーズ)を紹介されたこともありました。その著作の中では、「反復があらゆる分野において発見されている」と論じられます。さて、キェルケゴールが実際にどう考えていたのかは疑問の残るところです。私なりにご本人の視点を想像しながら思いを巡らせます。果たして、ジル・ドゥルーズが示すように、日常の諸局面に「反復」は見出されるでしょうか。仮に法律の分野において「反復」が用いられるなら、それはどのような状況においてでしょうか。これらの視点が、今回の発表テーマの端緒でした。
「反復」は、実態をつぶさに観察する力の源のようなものだと思われます。"未来に向けて追憶する"ということを、当たり前になったものを見直し、血を通わせ、生き生きとしたものとする。という意味合いだと考察して、そのように読み進めることもできます。しかしながら、キェルケゴールはさらにもう一歩踏み込んだ視座を提供します。有限と無限、地上と永遠といった対となる項目を量的な比較ではなく、質的な飛躍として捉えるのがキェルケゴールの哲学です(質的飛躍)。ここでは単に物事を生き生きと再認識するだけではない、という点がポイントです。常に、「反復」は、悲哀と隣り合わせであることが本質のように思えますし、もし法の領域で反復が働くとすれば、既存の法体系に対する圧倒的な謙虚さに直面する、と言わねばなりません。だとすれば、やはり「反復」は稀な経験であるはずです…云々。

さて、金沢大学の総合教育棟で行われた発表では、15時になると西田幾多郎記念館の浅見先生の講演が行われ、西田哲学とキェルケゴール哲学の関係を丁寧にお話しくださいました。貴重な経験となりました。(浅見先生のHP参照)
学会の終了後には、奇跡的にお時間をいただいた金沢大学の仲正昌樹先生と、かれこれ40分間、対面で話を聞くことができましたが、こちらは別の記事に委ねるとして、夕方の懇親会では、金沢大学の数学の先生に話題を広げていただき感謝でした。自分がジャーナリストの立花隆氏のゼミ生だったことを伝えると、ご本人も先生を慕われていたことをお話し下さいました。
立花氏がノーベル生理・医学賞受賞の利根川進博士へ取材した際は、「簡単にお伝えします...」と切り出した博士に対して「簡単にしないで良いです。複雑なままお話しください」と、返答し、その後の内容を立花先生は理解されていたようで、「こんな人初めてだ」と博士を驚かせたそうです。それらのエピソードを交えながら、私も立花先生の御退職時に花束をお送りしたこと、猫ビルにお伺いした時のことなど共有させて頂きました。
私にとっては偶然のタイミングです。ちょうど金沢を訪れる前日、先生の事務所にご連絡させていただき、ゼミ生だった経歴を公式の研究者サイトに登録して良いか尋ねていたからです。ご承諾を頂いておりましたので、今回は立花ゼミ(立教)の看板を背負わせていただいた次第です。
2021年にお亡くなりになられた立花先生の背中は追いかけたくとも、遥か先の霞の中で見えないほどですが、この度、一歩、私自身も前進したように思います。懇親会の最後には大阪教育大学の桝形公也先生からも丁寧なご指導をいただきまして晴れて収穫の多い会となりました。
発表者兼司会の、南コニー先生、森田美芽先生、ともにお世話になりました。ありがとうございました。

