イノウエさん好奇心blog(2018.3.1〜)

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Zauber(ツァウベル)

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(5.16 updated)

 見田宗介氏の『社会学入門』(岩波新書・赤版)

現在、読み直しているのは、1章、2章、P24P68

たった40ページくらいの中に、さまざまな物語が網羅されています。

興味ある話があれば手に取ってみてください。

ここでは雑駁ながら語られてるテーマ、課題、内容を列記しています。

小見出しはイノウエの任意です。

自分にとって備忘録として書き出しました。

さらに本文の文体を消してしまっており恐縮なのですが。

ご参考まで。

 

1章

旅と旅行の違い

・山本満喜子さん(ナチスの海軍将校と駆け落ちした女性の話。相手の将校はドイツの潜水艦を盗んで、アルゼンチンへ亡命、満喜子さんは陸から合流、その後、ダンスクラブの事務員として働き、昼間は練習を続け、やがて世界的タンゴダンサーとなり、カストロゲバラの目に止まる。満喜子・カストロの信頼が唯一の日本=キューバの国交窓口だった時期もあったほど)という女性にスーパーで出会った話。

・ペルーのバス停で話しかけてくる人たち、時間を費やすのでなく、時間を生きる人たちの話

旅は人に出会わせる、旅行よりも、という話。

 

世界初の公共時計

14世紀前半、ミラノなどイタリアの諸都市で設置。時間の枠組みの中に生活がはめられるようになる。ちなみに時計の針は1本だったが、その後、分針、秒針が加わり当時に比べ3600分の1に細分化された話

 

メキシコの死者の日

11月1日、2日に行われるメキシコの原住民(インディオ)の祭りは墓場で日夜宴会を行う。準備にも幾日もの時間を費やし、死者のための食事を用意する、経済合理性には沿わないという話

 

アメリカの100ドル紙幣

”Time is money"の精神のベンジャミン・フランクリンは、近代化の象徴だが、一方、非経済的なインディオの絶滅が望ましい、との旨を手紙に残す話。

 

見えないものと想像力の翼

以下、1990年のある時期、インドのコモリン岬を訪れた際の見田氏談。

 

明け方、日の出に立ち会いたく岸を歩いていると、周囲の漁師の子たちから金切り声が発せられる。

薄暗がりの中、見知らぬ異邦人に対して、行く先に深い絶壁があることを知らせる声だった。その日、太陽が昇りきってからも少年たちと戯れたり写真を撮ったりして遊ぶこととなった。

15年後、2004年12月スマトラ沖大地震で、コモリン岬を津波が襲う。救助に向かったインド空軍のヘリコプターも水と食料を投下するのみで、沖合の岩場に残された数百人の旅行者を救助できなかった。この時、100人以上の地元の漁師が、高潮の逆巻く海に乗り出して、命を賭して旅行者を救った。と報道で知る。

取材した記者に対して漁師の一人は、「助けを求める人たちがいる。やるしかない」と答えた。年ごろからして、救助に向かった漁師は15年前の彼らである可能性は高かった。

”「やったな、あいつら!」わたしは自分の身内のことでもあるように誇りに思った”、ここには世界に広がっていくような聖域を守る人々がいる。

と見田氏は語る。

 

第2章

小林一茶の歌が紹介される。

 

手向くるやむしりたがりし赤い花

一茶が親しくしていた幼い少女が摘みたがっていた花を、ついに添えてやることができた。という内容。

生きている花を摘むことは、少女だとしても許されなかった。

聖域は世俗が侵すことのできない領域。そんな聖域が人の社会にあった。

民俗学者レヴィ=ストロースによれば、アメリカの原住民(インディオ)が自分たちと白人との違いを説明する時、何よりも先に「白人は平気で花を折るが自分たちは花を折らない」と説明したそうだ。感動と畏怖にあふれたもののひとつが花だった。

 

聖域

紫色とは、かつてポルプラ貝と呼ばれる貝を潰し、その数滴に満たない染料を採集し、定着処理にも時間を費やす貴重な色だった。

ローマ時代にその貝の紫は「帝王紫」といわれ、天然の染料の生む最も高雅な色彩と言われた。フェニキア人をはじめ歴史的にも採取が拡大し現在、ほぼ生存を見ないが、ローマの諸都市はこの貝紫で栄えたと言われる。

貝紫は、ユーラシア交易ルートを通って中国に伝わると、それまで黄色を最も気高い色としてきた儒教文化の中国では、孔子をして「紫が天下を乱す」と言わしめるほどの影響力を放つ。やがて貝紫が舶来すると聖徳太子の時代に、冠位十二階の最高位に紫が置かれた。

徳川幕府は秀忠の時代に、位の高い僧侶にだけ紫衣の着用を許す公家諸法度を制定して、1627年、家光の時代には紫衣事件が注目を集めた。権威を 誇示する朝廷は当時の高僧に紫衣着用の勅許を与えたが、それにより、沢庵和尚など、山形県出羽国へ流刑となった。

 

権力、制度による禁色と対比して、民俗学者柳田國男は、「天然の禁色」と名付けた民の自発的な禁色について着目した。

当時の日本人は鮮やかな色彩に、わざわざくすみをかけて、地味な色彩を用いるなど、色彩についての鋭敏な日本人の気質を、純白に対する日本人の姿勢にも見ている。白色の衣類、例えばカミシモを、イロギ、イロカミシモ、と隠語化された言葉が用いられた。ここに、色彩に対する畏怖の念を読み取ることができる、という。

”柳田はその生涯を通じて、良い社会を形成してゆく基盤の力を、「法令で社会制度を作れるかのごとく誤認する権力の手法でなく、民衆自身の自発的、感覚的な心性のうちに見出そうとした”

とのことだ。

 

再びインディオ

貝紫は現在、北緯16度、グァテマラの東西に広がる長い海岸のうち、400㎞くらいの部分で採取することができる。

いまでも、メキシコのインディオたちは成人になり、好きな人ができると貝紫を贈るために、往復二ヶ月間、人生に一度の旅に出るがそれがこの海外だ。この地に今も貝が生息するわけは、インディオが紫を採取する際に、文明人のように叩き潰さず、少しづつ刺激して、液体を手になすりつけて染料を採取し、貝を生きたまま放していたからだ。

”存在するものたちに対するデリカシー、世界に対する感受性の強さのためだった”

 

魔のない世界

社会学マックス・ヴェーバーは、脱魔術化と近代化に関する著書を残しているが、この脱魔術化(エントツァウベルンク)という言葉をドイツの詩人シラーの表現から借りている。

シラーの詩で世界中で知られているものに、ベートーヴェンの第九、第4楽章、大晦日に合唱される名曲がある。

第4楽章、邦題で言うところの「歓喜」の主題で歌われる詩だ。

「お前の歓喜の魔力(ツァウベル)は時の流れが厳しく分断したものを、もう一度結び合せる。お前の柔らかな翼が停まるところでは、すべての人間は兄弟となる」という詩だ。

20世紀後半、ドイツは、ドイツと西ドイツに分裂させられてきた。ある年から東西ドイツの統一チームとして参加したのだが、その選手が金メダルを取った時には、国家の代わりに、この第4楽章が演奏されてきた。

1989年ベルリンの壁が崩壊した時、この歌が鳴り響く。1986年の東京サミットでも、当時のEC代表が空港のタラップから降りてくる時に、国家の代わりにこの合唱部分が演奏された。先方の選定だと思われる。

シラーの詩の合唱が、多くの戦争をしてきた幾百年の西欧の歴史に終始を打ち共同体を作ろうという理念の表現だったからだ。一方、ヴェーバーの記すような脱魔術化=魔のない世界、は近代の合理主義を見据えたアンビバレンス(両価性)な価値を捉えている。

 

ツァウベル(魔力)の行方

泉鏡花という作家がいるが、彼女は近代化日本の中で異次元の世界の無限と、それから、近代人間自身の内にある「ツァウベル」とその運命を描いた作家だった。彼女の追悼に合わせて柳田は、

「結局人間のただの道を、歩めとこそ責め立てるものが、ことに都の生活には満ちていた。あれはあれ、これは是、、そうもあろうが、こうも思う、と。二つを生き分けて何の屈託もなく…」と書いている。

見田氏は、近代化によって聖域が葬られるような矛盾(両価性)は、「獲得するものの巨大と、喪失するものの巨大の、双方を見晴るかす空間へ、僕たちの思考を挑発してやまない」としめます。

 

上記、たった新書の1/4程度の箇所ですけど。濃い!

ぜひ、面白がってみてください。

 

 

 

社会学入門―人間と社会の未来 (岩波新書)

社会学入門―人間と社会の未来 (岩波新書)