イノウエさん好奇心blog(2018.3.1〜)

MachinoKid Research 「学習会」公式ブログ ゼロから始める「Humanitas/人文科学」研究

アルスラーン戦記とジョン・ナッシュ

アルスラーン戦記、面白いですね。

Anitubeで後追いで、ちらっと見たんですけど。
ペルシャ人(現イラン人)の戦いを描いたアニメで、史実を元にする部分もあって面白いです!
ついでに、主人公のアルスラーン太子は、甘いんですよね。
でも、人はついてくるんですよね〜

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(画像:アルスラーン戦記」製作委員会)
http://tvanimedouga.blog93.fc2.com/blog-entry-23550.html

ところで話しは変わりますが、
去年まで大学生だったせいか、勉強を面白くないと思う人に言いたいです。
それは迷信です、と。せっかくなので、アルスラーン戦記にあやかって、面白い!と思えた経済理論を一つ、紹介します。これは、在学中、池キャンの図書館の踊り場でリョウジ氏に教えてもらいました。


西暦352年、パルス国に、AとB、二人の罪人が捕らえられていたとします。

この二人は黙秘を続けて7年の刑期を言い渡されました。
その日は、運が良いことにパルス国、アルスラーン太子が二人罪人に恩赦を与えるとのことで、
下のような条件を出しました。

もし、AとB、どちらかが自白すれば、その者を釈放する。
もし、AとB、二人とも自白をしなかったら、口の固さに免じて、どちらにも5年の恩赦を与える(→刑期2年)
もし、AとB、二人とも自白をした場合は恩赦は2年とする(→刑期5年)。

という条件です。
さて、自分がAだとしたらどうしますか?

刑期はこうなります。
自分が自白をして、Bが自白しない場合は0年、Bが自白する場合は5年
自分が自白をしないで、Bも自白しない場合は2年。Bが自白をする場合7年。


Aの立場で、少しでも刑期を短くしようとすれば自然に、自白を選ぶはずです。
Bが自白しても、しなくても、どちらにしても、
Aの刑期は、自白をした方が軽くなるからですね。

ところで、これが最善の策なんでしょうかね?

これは『囚人のジレンマ』と言われる有名なエピソードの一例です。
利潤を優先して考えると、結果が、非合理的になるジレンマで、近代経済学の基礎理論の一つなんですね。

この場合、AとB、二人とも沈黙することが、一番、刑期を少なくする選択です。個々の刑期が短くなるだけでなく、全体の刑期を合計しても4年。

もしお互いを知っていて信頼できれば、この選択肢が選ばれます。
この見解を発表したのは、1950年、当時米プリンストン大学にいたジョン・ナッシュ氏(1928~2015)です。このナッシュの均衡理論は、応用できる範囲が広くて面白いです。


現代にはどういう意味があるのか、と考えると面白いです。
現代社会は、ジレンマだらけです。

大事なものを長く使ってのんびり過ごしていたいのに、経済は血液だから循環させないとダメだ!なんて言われて、消費に向かわせられる。
なんだか、不条理なこともたくさんです。

タクシー捕まえるとき、も不条理です。
長いこと待って、やっと来た。と思ったら、突然どこかのネーさんに横取りされたり。そういうことも、ありましたよ。腹立ちますね。

牛丼だって、不条理なくらい安いです。

ところで、こんな日常にありそうな原価すれすれの過当競争も、ナッシュ均衡の現れです。

タクシーのエピソードは、個人が自己利潤を優先して動くと、無用な競争に他の市場参加者を巻き込んでしまう過当競争の典型例です。この場合、競合の中で競争することが個別の主体の合理的な選択です。

この生存をかけたそれぞれの戦略は、結局、社会全体を最適化しない、というのが『囚人のジレンマ』の結論です。

みごとです。
それもそのはず。
既に、1950年に書かれていたナッシュの均衡理論は、社会への応用性が高く、1994年には、ノーベル賞をとることになったわけです。
執筆当時、大学院生だったナッシュは、誰もが天才と認める人物でしたが、その後、統合失調症になってしまい、苦悩の人生を歩むことになりました。

余談ですけど、今年の5月になくなるまで、数学界と経済界に貢献した彼のその壮絶な半生は、ラッセル・クロウ主演の『Beautiful Mind』で映画化されました。苦悩の日々が衝撃的な映画でした。


ところで
このナッシュ均衡から、どうやって脱出するかという方針は、異分野に広がる創造的な方法が必要なので、面白いです。

里山で、山の幸を収穫する際に、摘み残しをして、来春、また山が生き返るように、その状態を保つことを恩恵とする智慧は、その社会の文化を共有してようやく培われます。

逆に言えば、際限無く採取していた不摂生な時代には、生産性を増加させる潜在性があった、とも言えますね。

身の回りの社会の利潤は、最大化されているのか?そんな視点を持つことができる『囚人のジレンマ』は、知っておいて損はなさそうです。

現代経済学の基礎となる「ゲーム理論」の、そのまた基礎になるような理論です。

ということで、ナッシュ均衡を知って、見えない潜在性に視点を移動する、それが、そもそもの生産の始まりかもしれないですよね〜。


ところで

アルスラーン太子は、甘いんです。でも、人はついてくるんです。
そうですね。もしかしたら、アルスラーン太子。
ナッシュ均衡から抜け出す術を知っていたのかもしれないですね〜。

今、思えば、そんな風にも思えて来ました。