イノウエさん好奇心blog(2018.3.1〜)

哲学のスナップショット。月1掲載。

オルテガ・イ・ガセット

f:id:keitarrow:20180228164416j:plain

Chi non può quel che vuol, quel che può voglia
(欲することを叶えられない者は、叶えられることを欲せよ)
Leonardo da Vinci
1930『Misión de la universidad』、オルテガ・イ・ガセット、『大学の使命』

 スペインの哲学者オルテガ・イ・ガゼット(1883-1955)は、自分らしくない(生き生きとしてない)習慣から大衆を解き放つ、生・理性(Razon vital)の教育を推奨しました。

 自分自身に対する尊敬の念を失うことなしに、自己の本性の偽造に慣れ込むということはありえない
オルテガ・イ・ガセット、『大学の使命』

 オルテガは、平均的な水準の学生を念頭に、尊敬の念や、興味や関心の大切さを説きました。冒頭のレオナルド・ダ・ビンチの言葉も、実感を抱くことの大切さを示す意味で、引用されたものでした。 

 物事に驚くこと、不審に思うことは、理解し始めることである。
〜驚きに見開かれた目こそ知的な人間の属性なのである。
〜それだからこそ古代の人々はミネルヴァに、常に目を光らせた鳥である梟(フクロウ)を与えたのである。

オルテガ・イ・ガセット、『大学の使命』

 ミネルヴァはギリシャ神話に出てくる知恵の女神さまです。

 さらに、実感ある生活者の姿勢を、オルテガは、生活者一人一人の責任としてでなく、教育機関と教授によって育てられると考えました。
 
 骨子はこのようなものです。
 社会を支配しているのは経済性である。過去にはローマ時代、そして現代の生活圏の中に、経済性を基盤にした数の論理が浸透している。それは、驚きや好奇心を抱く人々の目に取って代わり、平均的な人々の知識を、社会の至る場面に台頭させるものだった。いまや、大学教育においては科学研究が繁茂し、人々は実証主義を掲げ、断片的に知識を扱うようになった。「これ以上、科学人はただ一つの対象だけに非常に博識であるという野蛮人であってはならない」、と。

 オルテガは著書『大学の使命』の中で述懐します。さらに、だからこそ今、
「知識の有効な総合と組織化・体系化の創造が必要である」
「そして、総合化のできる特殊の才能タイプを育成しなければならない」
 と指摘しました。

 それは、時間と能力の限られた学生の有限性に叶う人間的な方法です。

 今われわれが、その呼び名を求めているもの、すなわち、本来の意味で人間的な事柄の総体を、Humanidades(ウマニダーデス)という呼称それだけで的確に言い表そうとするなら、われわれはその過去の用語の過度に限定された意味を払いのけ、それ本来の自発性、自然性において働くようにさえすれば、それで十分なのである。
『人文学研究所(趣意書)』 

 Humanidadesという語句は、中世と近代、現代の日本にまで伝わることとなったHumanities=人文学の語源(ラテン語Humanitates)のスペイン語訳です。

自発性や自然性、生・理性、教養は、ほぼ同義のものとしてオルテガは扱いました。

(過去の用語の、細分化した学科としての人文学でなく)

 我々はかくして、大学教育は次の三つの機能からなるという結論に達する
1. 教養の伝達
2. 専門職教育
3. 科学研究と若い科学者の養成

 1.教養の伝達
 この伝達が、学生の自発性、自然性、あるいは驚嘆の目を育むものとなっているか、教育機関は絶えず注視する必要がある。
 と、オルテガが生きていたら指摘する、と思われます。

(3/2 updated)

 1955年に亡くなった彼は、その意思を反映した大学がイギリスに設立されるなど、当時のヨーロッパへの影響力を誇りました。(ノース・スタッフォードシャイア大学)

 1880年プロイセンの大学を手本として設立された日本の帝国大学は、当時、すでに研究科を大学院に設置していましたが、教養課程と専門課程のそれぞれに履修規定を課したのは、1956年になってからのことでした。のちに形骸化したといわれる一般教養課程ですが、オルテガの論旨は今でも新鮮に思えます。

 なお、オルテガが、一連の教育改革を、初等・中等教育ではなく、高等教育に絞った理由は、当時、複雑化した科学的研究の弊害が、すでにドイツ・フランスの大学に見られていて、初等・中等学校で見られなかったからとのことです。さらりと書かれた箇所がありました。

幸いにも、現在の学者世代の代表的指導者たちは、今日の科学そのものの内的必然性からして、その専門主義と統合的教養とを釣り合わせることの必要性を感知するに至っている
〜少なくとも、初等学校や中等学校の授業にすでに行われているような方法が、高等教育の中に見出されない間は、その達成を期待する事はできないだろう。

 

 

大学の使命

大学の使命

 
大衆の反逆 (中公クラシックス)

大衆の反逆 (中公クラシックス)