『哲学』という言葉が「Philo+sophia」から生まれたことは前回ブログで触れました。この言葉は幕末から明治初頭に生きた哲学者、西周先生(以下敬称略)の翻訳によるものだったと言われます。
西周の引用元は、西洋のウェブスター百科事典=エンサイクロペディア(原義は希臘語のエンキュロス・パイディア=子供を輪に入れる)であると『百学連関を読む』の著者、山本氏は示唆します。
さらに「哲学」は、もともとは「希う(こいねがう)」という漢字を含めた「希哲学」だったそうです。
「希う」の動詞の漢字が残されていた方が、元のPhilo+Sophia(愛する+智)の意味に近づくので、この省略は重大なものだったと山本氏は指摘します。いつのまにか「希」が省略されたそうですが、理由は諸説あるようです。私自身も、なんとなくその理由に思い至る点がありました。
というのも、知識や言葉が使い慣らされていく過程で、元々、その語句の背景にあった、動きや文脈は、失われやすい、と思うからです。「感謝」の意味に変わった「有り難い」や「治療」の意味に用いられる「手当て」もそうです。
同時に、「動き」を含む語句は、その言葉を扱う人の観点によって、動きの分量や程度が変わるので、不特定多数の人がその語句を扱う場合は、概ね言葉の意味の中にある客観的で表面的な、名詞の部分だけが残されていく、と思うからです。
例えば、『民主主義』という言葉も、躍動的な中身を意味するのか、客観的な制度の事を指すのか、結局は、多数決や代議員制の制度について意味するものだと大勢の人が誤解を生んでいく(ように思える)様子を見れば、腑に落ちます。
失われても問題ないものもあれば、失われると一大事なものがあるように思います。
この視点は、写真史の中でも指摘されてきた 写真家の習性と重なるものでもありました。上記のように、政治的な文脈にも頻出しますし、昨今、メディアで取りざたされるポピュリズムという即物的な手法をとっても、歴史的な背景や文脈の、積み重ねで育まれる寛容さを、削ぎ落としていく点で類似すると思います。
この辺りは、持論になるので、割愛しますが。
特に写真史にとっては、被写体の客観的価値が着目される中、絶えず何かを生み出そうとする主観的で動的な部分が、注目された時期がありました。
その視点に触れる人物の言葉を引用したので、それをもって今回のブログを終わります。
その人物とは、ジョン・シャーコフスキー(1925-2007)。スナップ写真で先駆的だったウジェーヌ・アジェを始め、歴史的写真家を次々に世に出したニューヨークMOMAの60年代当時の写真部ディレクターです。
アジェの時代の大半の写真家は、被写体は与えられたものであること、それが客観的で社会的な性質のものであると信じていた、あるいは感じていた、と人は言うかもしれない。
大半の職業写真家たちは、このような客観的事物をできる限り明瞭に、そして正確に描写することが、彼らの仕事と感じていた。
また、大半の芸術写真家は、芸術の原理ないし芸術的感受性の力にそれを服従させることによって、その対象のリアリティを巧みに扱う、あるいは変化させることが自分たちの役割であることと感じていた。
アジェについて言えば、芸術の原理ないし芸術的感受性によっているとは思われない。ただ、カメラの前にあるものを、それがどんなものかをクリアに正確に写し取ろうとしているだけのように思われる。ただ、目の前にあるものは、確実で客観的なものとは思われず、不確かで、暫定的相対的なもので、絶えず新しい何かが生まれ出る可能性を持っているもののようだ。
アジェの最もよく考え抜かれた画像においてでさえ、その見た目の完璧さは、一つの経験が、ダンサーが跳躍の頂点で静止する瞬間のように、はかないものだということを示している。
(アジェの)写真は、まるで我々が期待したものではない。それらは感情による影響が全く処理されていない。矛盾がそのままになっているのだ。それらには、私心がない。つまり、甘えがない。それらは、写真家が見た以上のものは何もない(と我々は確かに感じる)という意味で、大胆不敵である。
John Szarkowski (『ウジェーヌ・アジェ写真集 』 2000、岩波書店)