イノウエさん好奇心blog(2018.3.1〜)

MachinoKid Research 「学習会」公式ブログ ゼロから始める「専門研究」

『百学連環を読む』(2016 山本貴光)

 

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隣町、公民館のミュージカル

(11/9 updated)

 第12回マチノキッド学習会も終えることができました。レギュラーとなりつつある4名の方々に参加していただきました。

 前回に引き続き近世、江戸の人々の思想について学んできた学習会ですが、これまでに家康の時代に官学に定められた朱子学のことや、中期に台頭する国学のことや、江戸時代に盛んになった会読(かいどく)が、横井小楠(しょうなん)吉田松陰らに影響を与えたことを、知ることができました。(前回ブログ参照)

 今回のテーマ図書となった『百学連環を読む』(2016, 山本貴光, 三省堂は、江戸末期の哲学者、西周(にしあまね)の講義『百学連環』を、文筆家、山本貴光氏が解説したものです。

 『百学連環』は明治3年に行われた西周氏の口述によるもので、残された記録は西周自身の覚書と、受講した弟子、永見裕(ながみゆたか)の筆録だけでした。

 昭和に入ると、大久保利通の孫、利謙としあき氏が、永見氏の自宅を訪れ、残された筆録を拝借し、覚書とあわせて編纂し、これらが西周全集(第4巻 1986)に集録されました。 

 跡を辿れば、

 西→永見→大久保→山本氏

 という順序に、時を隔てて、文献が届けられたのです。
 まるで聖火リレーのようです。そしてイノウエのブログにたどり着きました。

 

 『百学連環を読む』では、解説の丁寧さが著者の姿勢に見て取れます。

 弟子、永見裕氏の記した表記と覚書の表記の違いや、誤字の一字一句に至るまで、それが生じた背景を推測して、思考の経路をたどるのでした。

  この著書の中で、中心となる和訳語があります。

 それは、『学術』です。

  『学術』という言葉は、著者によれば、すでに江戸中期の貝原益軒かいばらえきけん)の著述にも記されます。(漢語に由来するでしょうか)

 西周は、この語句を、英語の、Science & Art の和訳語に充てました。昨日のトークショー(たまたま学習会の翌週に山本氏のトークショーが行われた)にて話された分類の型でいえば、和訳の3種(翻訳・借用・転用)のうち、もとの漢語を訳語に充てる、転用になるでしょうか。
 著作の中では、儒学で言うところの知行との関係が語られます。

 知は、知恵を得ること、行は、行うことを意味します。江戸中期には、陽明学という儒学の新しい流派によって、「知行合一」という教えが広まりました。言葉のみでなく、言動を一致せよ。といった意味ですが、ひとまずここでは、「知」は内に入ってくるもの、「行」外へ向かうもの、という、明瞭な区別があると述べられます。

 

 学術の根源なるものあり。知行の二つ是なり。知行はいかにしても区別あるものにして、一つと見るあたはざるものなり。知の源は五官の感ずるところより発して、外より内に入りくるものなり。『西周全集第4巻』p14

 

 ゆえに知は先にして、行は後にあらざるべからず。知は過去にして、行は未来なり。学術と知行は、最もよく似たりと雖も、自らその区別なかるべからず。知行は学術の源なり。

 『西周全集第4巻』p14

 

 こうして、儒教の概念「知行」が学術の根源として捉えられたことがわかります。
 その、「知」と「行」が、Input とOutputの関係にあるというわけです。なお、学術は、ScienceとArtのもともとのラテン語由来の意味、「学は知るための知識、術は作るための知識」の語義を持ちます。ここにも、知る=入力、作る=出力の関係が見られます。

science, scimus ut sciamus, in art, scimus ut producamus.(『西周 全集』P13)

ラテン語訳:「学では、知ルタメニ知り、術では、ツクルタメニ知る」(『百学連環を読む』p119、山本貴光訳)

 

 ところで、学術と、学術の根源となる知行とは、具体的には何が違うのか?という疑問も起こるかもしれません。


 そこで「学」が、知識全般に対応する「知」とは違い、精緻に組み立てられた矛盾を含まない真理であることが述べられます。一方、「
術」は行為の遂行のために組織立てられたものであると述べられます。この点で、知行と、学術は、区別されていることがわかります。
 学術は、知行の広がりから不確定なものを削り、より厳密なものとしたことが、下記の引用からも理解できると思います。

「学」とは、認識を補って完全にするためのものであり、形式の観点からは論理が完全であるという性質を、内容の観点からは真理という性質を備えている」山本貴光訳)p90

「術」とは、規則を組織立てたものであり、ある行為の遂行を容易にすることに役立つものだ」山本貴光訳)p99

 幾つかの用語を体系的に充当した西周の分類は、堅固な体系を持っていると思えたのでした。
 ひとまず、この辺にて終わりたいと思います。

 口述表記に近い山本さんの文体のおかげで、一つ一つの訳語が、配役を命ぜられた役者のようでした。訳語が生き生きと自分の役目を演じるかのうように思えました。
 たまたま、先週、隣町で鑑賞したミュージカルの影響でしょうか、まるで劇場に訪れたような不思議な読書体験となりました。
 

 著書の後半では、さらに、「術」が「技術・藝術」に分類されていく過程なども語られていて興味深いです。
 「芸術」が昨今語られるリベラルアーツの訳語として生まれたことも、西周の視点だったことがわかります。

 備忘録として、下記に概念の分類を図示しました。解説、詳細は、ぜひ本書をご覧ください。
 文明開化の日本に、和洋中の文化の折衷される過程を、辿っていただけると思います。

 

 

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知行・学術・識と才についての参考資料

 

「百学連環」を読む

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