Basel University
(3.29updated)
こんにちは。
今回は、第7回マチノキッド学習会のテーマ図書、ハンナ・アーレントの論考集『政治の約束』(訳 高橋勇夫、ちくま学芸文庫、2018)を取り上げます。早速、引用します。
トクヴィルは「過去が未来に光明を投じるのをやめてしまったので、人間の精神は暗がりの中をさまよっている」 と述べている…
『政治の約束』P102
トクヴィル(1805ー1859)は、仏の思想家です。
むかしむかし、アメリカで民主主義がはじまった当時。
「民主主義とは多数派の専制政治」だと論じた人です。
ニーチェが、哲学者とは、いつもその周りで異常なことが起こる人間のことだ、という時、彼もまた同じことを語っている。
『政治の約束』P97
ニーチェ(1844-1900)は、哲学者自身は、日々、驚きに溢れているけれど、それ以上でない、と。
古くからの哲学の暗がりに、気づいていたようです。
ハンナ・アレント
(1906ー1975)
この政治学者の著作に触れるたび(1回目、2回目)、彼女の展望の大きさに、驚かされます。
『公共』とは何か、という彼女の視点が、(イノウエの眼差しからすれば)神がかっているからです。
彼女の残した文面は簡単にすらっとは、読ませてくれません。
その上、読解がすすむと、共感が広がる。という代物でもないのです。
共感を味わおうものなら、輝かしい未来の確信に、読者を到達させるのです。ひぇー、と、ため息がこぼれるような、やんごとなき内容が語られています。
「新しい」
この言葉は、古びた言葉だと、これまでは思っていました。
新しい価値観など、実は、どこにもなく。
過去に生まれた価値の焼き直しを、次の世代が循環させているだけだと、思っていたからです。
それが、どうやら違う。
いや、はっきり違う。
と鉄槌を叩き込んでくるのです。
アレントは、「創始せよ」と強く読者の背中を押します。個を重んじます。
「新しさ」というものが確かにある。自分に問いかけてみよ。と、迫ります。すると見たこともない領域に、足を踏み出そうとする感覚に、読者は直面するのです。
はぁ。
アレント。
あんたは、とんでもない遺産を人類に残したな。
ぼくは、昔から変わったところがあって、アインシュタインの文献にのめり込んだり、難解とされるイマヌエル・カントの文献を愛読書にしたり、割と特異な部分があると自負してます。
20代で芸術活動に勤しんだ後、その後、大学で古典に触れ、かつての文人と話し相手にならせて頂いたような感覚があります。
ですが、文献を拝受させていただいた彼らと、有意義な会話ができたのは、それは、趣味の内側だった、からです。
ちっぽけな自分なりに、陶酔しながら、意気揚々と活字に触れてこられたのでした。
この二人は、ぼくの日常を楽しませてくれました。
カントに至っては、世界一重要な基礎知識を、人類に相続させようとした偉人だと思わせられます。市場と欲望の均衡点や、資本主義の潜在性について、着目させてくれたカントの視点は、面白いのでした。
けれど、アレント。
あんたは、ぼくのような希望を抱く酔っ払いに、氷水を浴びせてくるんです。あなたは、現実の敵が誰かを暴いてしまった。
暴くなら、その敵の巨大さまでは知らせないで、よかったのです。希望の風船に針を刺したら、それは戻りません。
もしその正体を暴いたなら、そのまま放っておいて欲しいのです。諦めるほうが楽だからです。
にもかかわらず、それでも克明に、新しい対策と心構えを、次の文章、次の文章と渡って書き留めていくのです。
そして、敵の正体は「個(自分)」にあると綴ります。
過去の天才や哲学者を、ジャニーズスターのように祭り立てて、あとはぼくらを現実に連れ戻します。
アレントさん、あんたは何がしたいんですか。
ゆすり屋ですか。落胆させておいて、リハビリ施設を調達して、問題を再設定して、攻略の道具を選ばせる。そして
君が用意するのは、あとは、勇気だけだよ。
さぁ、現実社会で命を燃やせ
と、舞台を設えるのです。
そういうわけで、一市民にとっては、骨の折れる文章なのでした。そして、見方によれば、アレントの著作は、過去からの「手紙」なのでした。凡庸なぼくは、話の大きさに目を丸くするわけです。
話を、アレントの展望に戻します。
アレントの独自性は、この点にあります。
娯楽⇆消費⇆生産活動⇆娯楽…
この日常の生活スタイルから、ある資源を浪費させないための、ライフスタイルを提案した事です。
その資源を回収するライフスタイルと、それを稼働させる方法を文章にまとめたのが、アレントの業績です。
それは、「知識の永久の奴隷になるだろう」とご指摘なされるところの無批判生活から、市民を解放する方法論です。
この時の資源とは、人間の思考力と尊厳です。
独特なのは、資本主義社会の内側で可能なヴィジョンとして、それを考案したことです。内側というよりも、資本主義の中心を描いたことです。それも、アレント が精査した過去のどんな哲学者も描けなかったような方法で、です。
異論はさまざま、あるかと思います。
ぼくの許容量の範囲で彼女の論点を超訳すると、上記が、アレントの背骨です。用いる用語も、一旦、自分の言葉に置き換えています。
アレントの『カントの政治哲学講義録』を見ると少しわかるかもしれません。
文化財の正当な尊厳は、それらが「物」であること、すなわち、「世界の恒久的な付属品」であることのうちに存する。その「卓越性は、生命過程に抵抗する力によって測られる」
生命過程に抵抗する力によって、尊厳(人間らしさ)が測られるそうです。
生命過程とは、ぼくらの生活スタイルです。文化財は、その代謝とは一線を画します。
人間の尊厳は、文化財として形となり、『人間の条件』の根拠であり、『政治の約束』によってのみ確保される唯一の資質だと、アレントは論じます。
その方法は、個の卓越性(差別化)にあると、アレントは口を酸っぱくして言うのです。彼女は、「公」の領域によって個が育つと考えます。
その職業の動機となっているのは私的なものに対する配慮(cura privati negotii)か、公務に対する配慮(cura rei publicae)か?
『人間の条件』PP138ー139
一般的に、「公」の対概念は、「個・私」のように思われますが、アレントは、個の内側にある「公」と「私」を区別します。
個人の内側の「公」の性質が、また別の人の「公」と繋がる場を、「公共領域」と考えた、とみることができます。そして、公的領域に配慮せよと、読者を誘います。
それは、個人の安寧と自由を保障するため。
というわけではありません。
個人の自由が保障された時、それによって、結局のところ、思考停止に陥らない、あるいは、全体主義に陥らない、寛容な社会を、築くことができるからです。
その町には、ぼくたち市民の独自性が、発揮される機会に恵まれます。
言論と活動は…単なる肉体的存在と違い、人間が言論と活動によって示す創始にかかっている。しかも…人間を人間たらしめるのもこの創始である。
『人間の条件』p286
はじめましょう。
と、アレントは呼びかけます。
カントは人間科学にまつわる膨大な資料を、この世に残しました。その後、余生を静かに過ごしました。
アレントは、彼らが残した遺産を、息の途絶える間際まで、現実に運用するにはどうしたら良いかと歴史上の様々なアイディアを結び合わせていきます。
「過去の光明」を現代に灯すように、その集大成を書籍に残しました。
その凄みは、ぼくにとっては翻訳本からではありましたが文面の節々から感じるのでした。
ぼくにとって3冊目となる、アレントの著作『政治の約束』を通して、不思議と、非力な自分に直面しつつ、綱渡りをしているかのような緊張が、下の方から伝わってくるのでした。
足元がスースーする感じです。
少なくとも、アレントさんの「手紙」を、読むべき人が読めるように、主観的な視点の、ブログですがアレントに対する、思いを書かせていただいた次第です。
- 作者: ハンナアレント,ジェロームコーン,Hannah Arendt,Jerome Kohn,高橋勇夫
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2018/03/07
- メディア: 文庫
- この商品を含むブログ (2件) を見る