イノウエさん好奇心blog(2018.3.1〜)

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シンポジウム『25年目のスレブレニツァ』①

 2020年113日、シンポジウム『25年目のスレブレニツァ』 に参加しました。国連の平和維持活動の最前線が、どのようになっているのかを知ることができました。司会は、難民を助ける会・理事長、長有紀枝(おさ・ゆきえ)教授でした。


 以前、産経新聞の「産経Express」というタブロイド版があったころ、Campus新聞という枠で、イノウエも記事を書いてました。学内誌SPCの編集者だったからです。当時、取材対象としてお会いしたのが長先生でした。
 紙面は手元にあり、今、読み直しても、先生の人柄も、学ぶことへの臨場感も、感じさせられます。というわけで一部抜粋。

産経Express 2013.3.24

S(SPC編集部) : 今回の震災で、大学生や大学にどんなことができるのだろうかと考えてきました 
O(長先生):「緒方貞子さんを知ってる?国連難民高等弁務官を務めて、今は国際協力機構の理事長です。その緒方さんが、大学生もいるシンポジウムで『学生にとって何ができるのでしょうか』と聞かれたの。なんて言ったと思う?『勉強しなさい。あなたたちのできることは勉強。それが特権』と言ったの」

S : 大学で勉強することが、やるべきことなのでしょうか
O :「大学生だからこそできることとか、大学だからしなければいけないこととか、いろんなことがあると思うんですが、大学生であるということを忘れないでほしい。被災地ではないところにいる人として、自分たちが生きていること、生かされていること、福島や宮城、岩手の人たちが送れなくなってしまった日常を私たちは送ることができている。大学で学べるという当たり前のことへの感謝を忘れてはいけないと思います。それが大前提です。」

(中略)

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 「赤十字国際委員会の副代表だったジャン・ピクテが言っていたんですけれども、人道には『4つの敵』があると。それは『利己心』『想像力の欠如』『認識の欠如』『無関心』。特に、無関心について、『何の悪さもしない。だけど、長期的に見れば弾丸と同じように人を殺す』という、注釈をつけているんです」

S : 「無関心」が最も怖いというのは、東日本大震災(のその後)にも共通しているように思います。
O :「学生には、今の自分に何もできないからといって、関心を失わないでほしい。たとえ被災地に行かなくても、意識さえあれば、できることがある。今はお金がなくても、社会人になって募金したっていいと思う。「私は東北に対して何もできないんだ」とは思わないでほしい。シャッターを閉じないで、一カ所だけでも開けていれば、それが、0か1じゃなく、0か100くらいの差になるんです..

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 当時の話は、よく覚えていますが、それからというもの自分の好奇心も、1でなく100くらいに膨らんでいるように思います。

 そして、この日の会場へとやってまいりました。
 先生は、何年も前にお会いしたときと変わらず、朗らかで軽やかで力強い印象のままでした。ところで、2日間にわたって開催されたこのシンポジウム。

 イノウエは第3セッションに参加いたしました。
 登壇者の方々は、錚々たる顔ぶれです。元、国連事務次長、明石康さんもいらっしゃいました。
 去年亡くなられた、中村哲さん、緒方貞子さん、を思えば、この日が本当に貴重な機会だと思わされるのでした。
 さらに、日本の「集団的自衛権」ついて詳細な研究をされている篠田先生の話も直接お聞きできるので、浮き足立つほどでした。この方の著作からも学ばさせてもらっております。

 改めて、セッションで登壇された方は以下です。

 ・明石康  (元国連事務次長)
 ・岡田陽平 (神戸大学
 ・篠田英朗 (東京外国語大学
 司会:長有紀枝

  1995年、スレブレニツァで事件は起きました。被害者の数も甚大なものでした。しかし、中世から、オスマン帝国・ハプスブルグ家・ロシア帝国の干渉の中心となったバルカン半島の歴史を思えば、どの程度、当時、国際社会から着目されたのかは、わかりません。「またか」という感じだったかもしれません。僕は高校生でバスケに明け暮れていたので平和でした。
 その惨劇から25年目の2020年現在、国連PKOの活動についてや、派遣の根拠など、今回のシンポジウムからは、知ることができました。第3セッションだけでも簡単には語りつくせないものでした。

 去年、2019年。スレブレニツァの被害者へ対する賠償の割合が決まりました。(これは岡田先生のご報告です)

 スレブレニツァでの惨事は、欧州に甚大な被害をもたらせたユーゴスラビア紛争の渦中に起こりました。もともと6つの国の連邦(スロベニアマケドニアクロアチアボスニアセルビアモンテネグロ)が崩壊していく中で、ボスニア紛争につながり、域内のセルビア系住民がイスラム系住民の民族浄化に手を染めることになりました。その地がスレブレニツァでした。
 国連も派兵されていたので、住民を保護できなかった責任は国連にあるかそれとも、当時実務を担ったオランダ軍にあるのか、が問われました。
 この難題は、最終的には、賠償額のうち10%をオランダ軍が負担することで決着がつきました。

 その理由について知るだけでも、歴史と世界情勢が見えてきます。なぜたった10%しか補償されなかったのか。など、次回ブログに記したいと思います。

 世界平和という言葉を口から発するときに、どんな因果関係が実務に関わっているのかを知ることができました。
 最後に国連の拒否権の問題、PKOの根本問題についての質問をさせていただき、皆さんのご意見をお伺いできたことも、良いリサーチの意欲に繋がりました。ありがとうございました。

 

inoue3.hatenablog.com


*-*-*-*《プログラム》*-*-*-*

https://sds.rikkyo.ac.jp/news/2019/so97n10000000hpr.html

 

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研究科のFBより