イノウエさん好奇心blog(2018.3.1〜)

MachinoKid Research 「学習会」公式ブログ ゼロから始める「Humanitas/人文科学」研究

『国家と宗教』(1942 南原繁)

  月一の学習会で、一冊の本を題材に意見交換をしており、今回、図書館司書の方に勧めていただいたのが、この著書でした。
 著者は、内村鑑三氏の弟子です。その内村氏の文章も先日マチノキッドリサーチで取り上げさせて頂きました。今回その南原繁氏の著作、『国家と宗教』の書評です。

(1/10updated)

 著者、南原繁氏は1889年、香川県に生まれます(没1974)。1914年に東大法学部入学し、25年に教授。終戦の45年には東大総長に就任されました。
 サンフランシスコ講和条約に関して米国との単独講和でなく、国連との全面講和(日米間の安全保障条約でなく、国連か戦勝国それぞれと安保条約を結ぶ方針)の方に正統性があったと主張し吉田茂氏の論難を受けるなど、世間の注目を集めた人でした。当時シゲル対決と煽られたでしょうか…

 本書『国家と宗教--ヨーロッパ思想史の研究』(2014、岩波書店)では、古代ギリシャから現代に渡る西洋の精神史を軸に、国家と宗教の共存の是々非々が論じられます。さらに、独・哲学者イマヌエル・カント(1724-1804)の哲学から、国体と信仰の共存の可能性が指摘されます。

 南原氏は特に、カントの『実践理性批判』の哲学を中心に論を展開しており、実践理性に関する前知識のない方には難読書に違いありません。親しみの無い方は、 マチノキッドリサーチに掲載されている※補足 も参考にしてください。
 近代哲学を基礎づけたカントの哲学の、中でも道徳を扱う『実践理性』について知っておくと、この著書は読みやすくなります。

 本文は、古代ギリシャの話から始まります。ソクラテス以前の啓蒙時代、哲学者は議論に勤しみ、個人精神を高めました。人間を世界の中心に据える契機となりました。一方、中世の宗教国家においては、国体と教会の積極的な結びつきが人間性の没落を招いたと著者は示唆します。
 南原氏の着想は、一方で人文主義を重宝しますが、過度な人間中心の思想が、普遍的知性を埋没させるというものです。
 さらに、人間復興の時代と称されるルネッサンス期を、古代の啓蒙時代の再来と捉え、また、中世の宗教国家の人間性の没落を、ナチスドイツの授権政治と、重ねて捉えたのでした。 

 あらゆる時代に矛盾を孕む人間史において、自由意志と普遍的知性が適度に折り合う、人間理性の可能性に南原先生は着目したのでした。こうして、描かれた論旨は明快です。

 『実践理性』への信仰が、個人精神と理想国家を共存させる
との論旨です。
 ちなみに、イマヌエル・カントは、神という言葉の使用を避けました。個人の美意識の源泉は、ヌーメノン(Noumenon≒知性界)にあると捉えました。この美意識が人々の経験する世界(Phenomenon)に反映されると考え、そのときに働く理性を、『実践理性』と呼びました。経験に基づく『理論理性』とは明確に区別されたのでした。

 「神」という語を使わずして、(平易に言えば)あの世とこの世の二つの理性が両立する、と説いた開眼は、カントをして近代哲学のパイオニアと言わしめる所以です。

 

 ところが。
 再び、南原先生は「神」を掲げたので面白いです。カンティアンからすれば驚きかもしれません。

 我々の一切の義務を人間自らの意志の原理としてでなくして、神の命令として認識することにより、ここに人間無力の補いとして神の意志が「協働」する P166

 神の登場です。
 南原先生は、神の意志が「協働」することで『実践理性』が働くと明示した点は、哲学と神学を重ねる興味深い視点です。

 この点が世界の哲学史からみて、どのように位置付けられるのかはわかりません。
 もしかしたら日本独自の視点なのかもしれません。信仰の対象が宗教だった時代、あるいは、哲学の対象が合理性だった時代から、カントは人々を解放しましたが、南原先生は、信仰の対象を、人間の側に再び呼び戻したのでした。

 この姿勢が、直接の教えを受けた内村鑑三氏の思想的系譜の流れにあることは想像に難くありません。内村氏も同様に、デンマークキルケゴールの実存哲学に共感し、自ら、キリスト教無教会派と言われる、宗教と哲学の共存の思想を牽引した人だからです。

 西洋哲学と信仰心の間に、血の巡るような思想の系譜が、この日本に存在していたことが分かります。この点から、本書が歴史的に着目されるべきものと思わされ、その構成は爽快に思えるのでした。

 上記の視点から、南原氏の『国家と宗教--ヨーロッパ精神史の研究』は、日本において消えかかる信仰と哲学の深く関わる領域、あるいは、宗教者の言うところの「神学」の眼差しを、再び、一人の人間の「実存」に呼び戻す、実践的な著書であるばかりか、この信仰へのまなざしが岩波文庫の再販の目論見に適うのであれば、現代出版界における見事な采配だと指摘せずにいられません。
 なお、書名に掲げる『国家と宗教』の「国家」に関しての言明は少なく、かつ理想的な政治体制の実務を指南するガイドラインではありません。
 その意味で本書は純粋な思想書と言って良いかと思います。