イノウエさん好奇心blog(2018.3.1〜)

MachinoKid Research 代表 教育・哲学・社会学をテーマにブログ配信中。月一更新

バーゼルにやってきました

(11/20 updated)

 前回のブログで書いたカール・バルト本人は、かつて、スイスの都市バーゼルで教鞭を振るっていたこともあり、2018年11月3日から10日までのイノウエのパリ・バーゼル滞在期間には、現地での彼の痕跡を見つけることができました。

 その日、5日月曜日。城壁に囲まれた街の、そのまた中心地では民芸品や食料を扱う屋台が賑わうのでした。その市場に覆われるようにして、目当てのバーゼル大学はありました。道すがら、スイスならではの洗練されたデザインと、時折ユーモアある彫像が、その国民性を感じさせたのでした。

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 学生課を訪ね、場所を確認すると、喧騒から離れた一角、閑静な佇まいの建造物に神学部が入っているのがわかりました。

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 Theologische と書かれた校舎の門扉を開けると、こじんまりとした教室に数人の方がおり、昼食をとるところでした。一人の学生に気をかけて頂き、案内されるがまま、教室に入るのでした。カール・バルトの話をお聞きすると、「今では、ポピュラーではないけれど、彼がここで教えていたことを示す肖像画が、中にある」と、回廊の中へ誘ってくれました。

 

 その肖像画がこれです。

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 なんというか、 ケンタッキーのおじさんみたい...

 
 ところで、カール・バルトの功績は、イノウエのわずかな知識では、あまりあるので記述は避けます。ですが、少なくとも

 個人と信仰の関係を、社会制度と国家に結びつけて論じた姿勢に、イノウエは刺激を受けたのでした。

 前回ブログで紹介した宮田先生の見解と、バルトの著書を少し読んだ範囲でいえば、このような姿勢が見えてきます。

 時の政権、社会制度の不平不満を、大抵は、ある地域・集団の利害、個人の思想信条に照らし合わせて論じます。この時の立場は、福祉やサービスのまったくの受容者としての立場です。

 バルトの立場は、少し違うのです。

 それは受益者というよりも、国政の構成員としての視点だからです。 

 例えば、「表現の自由」一般的には、個人の権利の視点から語られます。ですが、バルトの場合は「恩寵」を受ける人間の生活条件に着目するような捉え方をします。

 人が、社会と横につながっていると考えるよりも、
「人は信仰によって、上との垂直の関係に生きる」と、考えるバルトならではの着想かもしれません。

 ところで、今月、学習会をやります。
「国家と宗教」を著した南原繁先生の本をとりあげます。

 キルケゴールの実存哲学を支持した内村鑑三氏の、そのまた教え子の南原先生ですが、カール・バルトの視点と重なるところは、面白いです。 それは、

 人間の基盤になるべき価値が何か、その価値を醸成する国家はどのように形成されるのか。

 という着想です。

 この問題意識は、教科書で習った「社会契約論」にまで届きます。
 税金を収め、その見返りに社会的保護を受ける。契約論思想は、なぜ問題視されるのでしょうか。

 不思議ですね。


 バーゼルでは、そんな南原氏の着想と、バルト氏の信仰とを重ねながら、彼らの言うところの「恩寵」の価値について、問いを膨らませる滞在となりました。

 これはこれは、ますます、新しい境地が開かれそう。

 学習会も面白くなりそうです。

 僕も、かつてのバーゼルのように、城壁に囲まれた緊張感ある安全地帯を、胸の中に設けて、まだまだ学びたいと思わせられます。

 

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