イノウエさん好奇心blog(2018.3.1〜)

MachinoKid Research 「学習会」公式ブログ ゼロから始める「Humanitas/人文科学」研究

『カール・バルトーー神の愉快なパルチザン』(2015 宮田光雄 )

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渋谷にて

 

  今となっては、この人物の名前を知らなかったひと月前までの自分を恥じてやりたい。過去にタイムスリップして、無知な自分の頭をバリカンで丸めてやりたい。そんな思いがいたします。

カール・バルト(1886-1968)

 この人物は、第一次大戦後、次の大戦へと突入していく不穏な空気を纏うドイツを憂いながら、厳しく、そして雄弁に生きたスイス人です。

 ナチスに敵視され、ドイツ・ボン大学での教職を奪われ、故郷スイスに追放されるように帰国を果たします。その後、登壇を願う同胞のため、再び危険を顧みずドイツに入国。そこで代理人を立てて講義を行うような人でした。(自分の言葉を代理人の口から伝えてもらい自分は聴衆席にいる)彼のことばは多くの人に切望されました。

 実際に、バルト本人の言葉を聞いたことのある著者・宮田光雄先生は、バルトの人柄のわかる当時のエピソードを掲載します。

〜 かつてのバルトの学生たちや支持者たちが待機して押し寄せ、講演終了後には嵐のような歓呼の声がわき起こった。非常に驚いた国家警察は、同じ日の夕刻には、急行列車にバルトを乗せて国境まで連行し、国外に強制退去させた。監視のため同行した警察の担当官は、スイスの途上でバルトの奔放な応対にすっかり翻弄され、最後には心服させられしまった P86『カール・バルト

 バルト本人は、ユーモアに溢れ、授業では笑いが絶えなかったそうです。

 それはボン大学だけでなく、スイス・バーゼル大学に招聘された時も同様で、同じ大学にて教鞭を振るったカール・ヤスパースの厳格な授業とは対照的だったそうです。学習会の時に、聞き知ることになりました。

 学習会というのは、イノウエが月一回のペースで開催しているもので、勧められるがままに取り上げたテーマが、幸運にも『カール・バルト』でした。

 何を学んだのか。一言で表すなら。

 本当のことが何か、それを感じとる人の言動から、自分自身の大切にするものまで更に強められた、と思えるところです。具体的には、自分のブログの長所を、より好きになれた感覚があります。

 少し付け加えるなら、ある時期の政治権力や、はたまた大衆の同調圧力に押し迫られる状況があったとしても、むしろその状況を、言い方に語弊があるかもしれないですが、気楽に乗り切れると、知ったような気がしたのでした。

 バルトはそのような軽快な判断力で苦境を生きた人でした。

 ナチス政権に寛容を要求する旨の手紙を送りつけたことなど、一見、普通の人であれば無謀に思える振舞いも、この人に限っては無茶でも攻撃的でもなく、いたって冷静に淡々と人間性を大事に生きていると感じさせる。そんな活動家のバルトの強さを、宮田氏は巧みに、正直に著書の中で描いたように思えます。

 バルトの芯となる思想信条は「神学的実存」という哲学で語られます。キリスト信仰は、大勢の日本人にはわかりにくいと思うので、私の理解も主観にすぎるのかもしれないですが。望みある未来や、公の秩序ある世界をぼんやりとイメージする時、そのイメージへの親しみの大きさが、キリスト教徒における信仰心と似ているような気もしております。

   というのも、ヨハネによる福音書の1章1節に「はじめにことば(logos)があった」と記されるのですが、もともとギリシャ語のlogos=λόγοςは、言葉だけでなく、理性や、論理や、ことわり、などを意味しました。仮に、この一節に基づけば、理性は人間を超えて社会全体に広がる、というイメージを抱きやすいからです。

 いずれにしても、このような引用がわかりやすく感じました。

本来的な意味では主体性や自律性について語ることができるのは神のみである。しかし、キリスト論を通して、派生的には、人間についてもまた主体的実在であることが認められるのである

 各自命じられた信・望・愛を実践していかなければならない

それは無条件的・無批判的な心中ではなく、政治的な共同責任の遂行を意味する。 

 国家権力と市民の間に、単に境界線が引かれているわけではなく、市民としての責任がある。という厳しいメッセージが読み取れます。

 平和を願うとすれば、一市民として果たすべき普通の事柄に血を通わせて、生き生きと、まさに実存的に生活することが、個人の責任に結びついている、と御指南いただけた、そんな読了感がありました。

 生真面目度が高い論旨ではありましたが、嫌いではありませんでした。なぜなら、バルト本人が快活で、淡々と生きた人物に描かれているからです。

 

 更にくわしく知りたい人は、ぜひ著書を追ってみてください。

 ちなみにバルト本人が、好んで自らを形容したとされる「神の愉快なパルチザン」のパルチザンとは「遊撃兵」の意味なんです。

 

カール・バルト――神の愉快なパルチザン (岩波現代全書)

カール・バルト――神の愉快なパルチザン (岩波現代全書)