イノウエさん好奇心blog(2018.3.1〜)

MachinoKid Research 「学習会」公式ブログ ゼロから始める「Humanitas/人文科学」研究

『日本政治思想史研究』(1952 丸山眞男)

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学習会2日前の沖縄、海に潜る人気持ち良さそう…

 

 マチノキッド学習会
 10回目を終了しました。

 毎回、充実するにはするのですが…
 実は、回を重ねるごとに、その度合いが増しつつあります。

 テーマは毎回違いますが、ふとした折に過去の学習会のテーマが思い出されるからです。
 それは、今回も例に漏れませんでした。感無量です。

 歴史上の、多くの学者に重宝された文献であればなおさら、一つの一つの文体の難解さに応じるように、その視点は膨らみます。気がつけば、活字でできた広大な言論空間が、海原となって眼下に広がります。

 あれ?
 ぼくらはその海原を走る船の上で、酸素ボンベを背負うダイバーじゃないですか。
 舳先に座り、背中からくるっと落ちます。さぁダイブです。

 ボチャン!!

 
 図書は『日本政治思想史研究』、江戸時代の文学や思想を中心に取り上げたものです。

 実家の父と会ったとき
 今回の学習会で見聞きした内容を伝えてみました。

 充実してるって言うなら驚かせてみろ

 と、いわんばかり。

 まさに一触即発の臨戦態勢です。

 この図書に出てきた単語を、口頭で訥々と並べました。
 数打てば当たります。

 ひきが良かったワードは赤穂浪士でした。
 かすかな興味の兆しを感じ取ったので、半ば計算ずくで赤穂浪士のことを、「アカホロウシ」と、読み違えてみました。

 すると、

 「それは、アコウロウシだな…」

 と、身を乗り出して頂いたのです。
 まずは、一本釣りで仕留めました。

 あとは、潮の流れに任せます。

 赤穂浪士の討ち入りは、ご承知の通り「忠臣蔵」として有名ですが。

 当時も、センセーショナルでした。

 「赤穂浪士」とは藩主、浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)の仇を取るべく、かつて江戸幕府に仕えていた吉良上野介(きらこうずけのすけ)の屋敷へ、討ち入りを果たした46名の赤穂藩士(兵庫県)のことです。

 彼らに、どのような裁きが下されたのか。
 1703年当時、江戸が注目した事件でした。

 5代将軍、徳川綱吉に仕えた側用人(そばようにん)、柳沢吉保(やなぎさわよしやす)は、彼らの処遇を考慮するにあたり、15名ほどの儒学者から意見を取り入れたと言われます。中でも、当時、爆発的な影響を誇ったと言われる儒学者が、荻生徂徠(おぎゅうそらい:1666-1728でした。

 もし、「打首」となれば、武士にとって屈辱の裁きです。
 一方、多くの学者は、死罪には当たらないと考えたそうです。
(レギュラー参加の情報筋Mさんから)

 著者、丸山眞男氏はこの時の、徂徠に照準をあわせます。
 徂徠は、武士の正義心と幕府の法治体制の双方を考えて切腹を進言したのでした。

 その後、調べたところ、大石内蔵助含め17名を引き取った切腹所の細川家では、潤沢な食事をふるまい、酒まで用意し、切腹には格式の高い三枚畳みを用意したとのことです。罪人といえども志士たちは英雄でした。

 どうして、荻生徂徠の判断に、丸山氏は着目したのか。
 それは、ずばり!
 徂徠の視点には、公的哲学と私的心情が備わるからです。

 の特徴は、以降、徂徠学を継承する蘐園(けんえん)学派の、太宰春台(だざいしゅんだい)や、服部南郭(はっとりなんかく)等の学者によって、それぞれ、政治学、文芸詩学に受け継がれることになりました。

 この公私の特徴は後に台頭する国学に影響したと丸山氏は考えます。

 本居宣長国学とは、政治学か文芸詩学か、と問われれば、なんと答えるでしょうか。

 そもそも、本居宣長の「もののあはれ」とは一体なんなのでしょうか? 

 結論から言えば、徂徠の影響は、より私的心情を扱った文芸の方に強まり、そして儒学を排斥した国学の形で、ついに勃興したのでした。

「今の世は今のみのりを(かしこみ)て異(け)しきおこない行うなゆめ」本居宣長

 本居宣長(もとおりのりなが:1730-1801)は幕政に対して従順な姿勢を示しました。”この世では今のめぐみに感謝して変わった振る舞いは慎みなさい”
 と詠める歌です。

 宣長の時代、将軍は8代から11代まで転々としました。政治哲学は思想史から離れたのかもしれません。

 日常のありがたみを感じる情緒豊かな私的心情の側面が、「もののあはれ」に反映されたのでした。

万人が「穏ひしく楽しく世をわたらふ」た上代を理想とする宣長オプティミズムの方法的根底はまさにこの「もののあはれ」に存するのである。P173

上代とは奈良時代

 さて国学の思想にダイビングしたばかりではありますが、日本人だからなのでしょうか、西洋哲学ばかり傾倒していた自分には、より面白く思えました。

 日本人は、もともと政治に対して意見を言わない国民性だ!

 と指摘されることもあります。最近は変わってきているでしょうか。
 その理由は、江戸後期に進行した政治からの思想哲学ばなれ、といった状況と、少なからず関係しているかもしれませんね。興味深いところです。

 そして父が関心を示したのは、「赤穂浪士」というよりも、実は太極・・・

 だったのです。太極ってなに?

赤穂浪士…本書ではすべて赤穂義士と表記されます

  王仁和尚(わにおしょう)の時代に百済より伝来された儒学は、南宋朱熹(1130-1200)によって体系化されました。宋学とも呼ばれる朱熹朱子学は、道教の陰陽の太極図を用いて理と気を区別するものでした。そして、1199年、日本に伝来し、徳川の時代になり儒学神道として興隆しました。

 朱熹による体系は、人間の一人一人の天然の性が、太極(=秩序)を担う、と考えるところにあります。これが、おなじみ性即理(せいそくり)ですね………

 この体系の特徴は、政治哲学のような高尚な知恵を誰もが備えている、と考える所にありました。結果的には、性善説が説かれ、学問に勤しむリゴリズム(厳粛主義)が浸透したと、丸山氏は分析します。

 もののあはれ

 に着目した国学の誕生背景には、鎌倉時代より続いた朱熹の太極の理学があり、厳粛主義の影響があり、その反動があったと、見てとれるのでした。

 目の前にある存在を、まさに存在として受け止める、あるいは、血を通わす…という実存思想が、この言葉の背景で見え隠れする。

 そう思うと、またまた、前回までの西洋哲学との関係に思いが至ります。 

 というわけで言葉が言葉を生んでいく「学び」の循環がありそうです。
 学習会を繰り返して、人を驚かせる魔法を身につけるわけではないですが。

 人の言葉を大事にできるようになる。気がします。

 それが、そのまま社会貢献につながると、言っても、的外れでもないのかもしれません、言い過ぎでしょうか。

  学習会に来る人が一人でも増えたらうれしいです。言葉遊び、だと思って遊びに来てください。一生ものの言葉に会えます。

 

 ザッバーン!
 いいスキューバダイビングでした。
 また良い活字の海に飛び込みたいと思います。

 

追記:こちらの集いで発表させていただくことになりました。
 ご興味ある方がおりましたら、ぜひ覗きにいらしてください

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ハンナ・アーレント研究会

 

 ご静聴ありがとうございました。

 

 

日本政治思想史研究

日本政治思想史研究

 

 

『全体主義の起源』(1951 ハンナ・アーレント)

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永田町 地下鉄


 6月7日、第9回マチノキッド学習会、無事終わりました🎊
 課題図書は、ハンナ・アーレント全体主義の起源
 長編の歴史哲学書でした。

 参加者それぞれで、部分ごとに読みましたが、バスケットマンの方にも参加して頂いて、分かりやすくなり、感謝です👍

 全体主義の起源とは? 

 ふつうに生活するぼくらが、何気なく同意してることにも、その芽があるそうです。
「これは、けんけんガクガクしかじかで、ダメと言わざる得ない!」という、論理性にも、その起源が見え隠れします。

 何か、失敗が起きた場合、暴言や汚職や不摂生、時にはただの嫌悪感ですら、暴露された時、その人の責任は、どこまで追求されるでしょうか。

 誰もが持つような世間一般の論理性≒常識Aに照らし合わせてみると、Aを支持すればBと言わざるを得ないことがある。そしてCの関係が見えたとするとDについても責任を問わねばならぬ、と、アルファベット順につづいて最終的にZにまで、論理は、結論にまでたどり着きます。

 もしくは、途中で論を止めて仕舞えば、失敗者を擁護していると見なされかねない。
 そんな状況が、論理の強制力として普通の人の中にある、のだそうです。 

 拙い想像力で恐縮ですが、例えば、このような事件が思い出されるのでした。知る知らないに関わらず、反社会組織の忘年会に芸能人を呼んでしまった芸人が、いたとする。

 その芸人さんの、個別の事情に配慮してしまうと、反社会的な活動を擁護すると見なされるかもしれない、そもそも反社会的な活動は許されない。
 芸能人の仕事は公の性質を帯びている。だから模範にならざるを得ない、それを踏まえれば、本人の自覚の有無はさておき解雇が当然。そんな論理が立つ。(このケースはそれが妥当だとしても)

 ロジックの強制力とは、そういう普通に思える常識的な判断の水面下にあるかもしれない、と思わされました。
 ちなみに機械的な議論でなく、人間らしい議論が不可欠になるわけですが、例えば、そのために必要な生活態度を、活動的な生活によって着目するのが別の著作『人間の条件』の要旨です。

 ふむふむ。

 ところで、
 『全体主義の起源』で描かれた題材には、ある時期のユダヤ人への憎悪がありました。ドレフュス事件と言われる冤罪事件も、その引き金となったそうです。
 歴史に根付いた特定の民族への憎悪と、思想主義が重なり、さらにカリスマ指導者の呼びかけのもと、法そのものより、法の根拠に信頼がおかれ、普通の良心的な論理性をもった国民全体が、AからB…Zへと向かい、最終的に支持をしたのが、民族浄化だったそうです。
 これが民意を圧政する専制政治とは似て非なる、全体主義の象徴的事例となりました。

 全体主義…の仕立て上げを行うものはイデオロギーそのもの--人種主義もしくは弁証法唯物論--ではなく、イデオロギーに固有の論理性である。この点において最も説得力のある論法、ヒットラースターリンがともにすこぶる愛用した論法は、Aと言った以上Bと言いCと言わねばならず、このおそるべきアルファベットの最後まで続けて言わねばならぬという論法である。

 論理性の強制力は、ここに起源するもののように見える。

P316『全体主義の起源3』 旧版, 1974  訳 大久保和郎、大島かおり 

 

 全体主義的統治の理想的な被統治者は、筋金入りのナツィでも筋金入りの共産主義者でもなく、事実と仮構の区別をも真と偽の区別をも、もはや見失ってしまった人々なのだ。

 この内的強制は、論理性の専制であって、その専制に対抗し得るものは新しいことを始めるという人間の偉大な能力の他には無い。

P318『全体主義の起源3』 旧版, 1974  訳 大久保和郎、大島かおり

 

 アレントは、希望を書きます。これを人間の偉大な能力、先日ブログでも取り上げた「創始の力」と言ったり、「活動的生活」と言ったり、します。

 ぼくたちの生活に全体主義の芽があるというと、少し怖いですが、人間らしく思考をすることは、その処方箋になると思えば、いくらか安心です。

 上記は、今回のイノウエの着眼点でした。

 その他、南ユダの地が、ユダヤ人の名称の由来になった説を紹介していただいたり、どこの国の人でも接点があれば信用が生まれるなど、参加者それぞれの視点が持ち寄られ、新鮮な時間となりました。

 選書をして頂いてる司書さんも、参加者さんも感謝。

 なにより、今回も参加費、200円で聞けるとは!

 第10回目のマチノキッド学習会も、乞うご期待👌

 

 

The Origins of Totalitarianism (Harvest Book, Hb244)

The Origins of Totalitarianism (Harvest Book, Hb244)

 

 

全体主義の起原 1――反ユダヤ主義 【新版】
 
全体主義の起原 3――全体主義 【新版】
 

 

 

『判断力批判』(1790 イマヌエル・カント)

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イマヌエル・カント
(1728-1804)第三批判書

 を取り上げました。


 同時代の、文学者、哲学者にはもちろんのこと、後世の哲学だけでなく、芸術を語る時にも、この人の文献が出典として頻出します。

 彼の文献は難解と言われます。その難解さが、カントの人気の秘密の一つかもしれません。わかった時は登山者のような気持ちです。苦労して登頂した結果、そこから見えた太陽が美しかった、という感じかもしれません。もはや読了後には山頂に旗を立てる気持ちです。

 もちろん、カント哲学は難解だからという理由で後世に影響したわけではないです。カントから、フィヒテシェリングヘーゲルを経て、ドイツ観念論は完成した、と解説するドイツ哲学の入門書に何度も出会うほど、後人を裨益(ひえき)しました。(裨益…さっそく翻訳者の篠田さんの語彙を真似ました)
 また、批判された面も多々あります。

 カント哲学を完成させたと称されるヘーゲルの哲学は、その後、キェルケゴールによって批判されました。また、サルトルは、カント哲学を「認識の哲学」だ。と、形骸的な哲学と見なしたほどでした。(1956『存在と無』)

 キェルケゴールの批判とサルトルの批判は少し違います。

 サルトルは、自由とは「自己の深淵から湧き出る」と自己の自由を主張しました。その哲学を、同時代の社会学レヴィ=ストロース(それが正しいかは別に)批判します。「自我の檻の囚人となったサルトル(1962 『野生の思考』)という風に。その論調はかなりの迫力でした。

 ところで、ヘーゲルの哲学は、あたかも未来を予想するような哲学だったので、この哲学を「媒介」の哲学だと、批判したのはキェルケゴールでした。本来の自由は、言葉の媒介を必要とするわけではなく、自分の深淵にある、と主張したので、サルトルの主張とキェルケゴールの主張は似ているようですが、普遍的な知の有無について、相違があります。

 レヴィストロースやキェルケゴールは、その点で普遍性を擁護します。すると、ヘーゲルへの批判は説得力があったけれど、カントへの批判は、それほど功を奏しなかったことがうかがい知れます。
 個人的な感想程度のものですが、
こう見ると、哲学者の戦いが面白いですね。

 ヘーゲル哲学のその後は、言わんこっちゃない!という感じです。

 当時のヘーゲルは、弁証法という哲学を有名にしました。この哲学への信頼はやがて、弁証法唯物論という論理を展開したのでした。

 弁証法とは、正・反・合の過程を経ます。
 Aと否Aの統合する際に、新しいA'が誕生する。このA'が次の否A'と合わさり、新しいA"が誕生する。という考えです。すると、思想は必ず、絶対的な知へと向かっていくはずです

 弁証法唯物論とは、別名マルクス主義といいます。資本主義は、やがて社会主義を経て、共産主義へと導かれるという論理的背景に、その正統性を元に、強硬な手段も採択されてきました。よくも悪くも思想家の影響は甚大なのですね。

  ところで、カント自身が影響を受けた哲学者も何人もいます。普遍性の哲学を疑ったヒュームの経験哲学にも、自由を称賛したルソーの自然哲学にも、目的論を神学に高めたヴォルフにも影響を受けました。もとは天文学の専門だったのでケプラーも愛しましたし、と話題も膨らみます。

 そこで、要点をお伝えします!

 
 カント哲学にとって、ぼく自身がもっとも有り難がっていることは何か!

 と聞かれれば、一言で『判断力批判』への取り組み、だと言います。

 というのも、カントの「判断力」への分析は、個人の潜在的才能を開花させる役目を帯びているからです。日常の中の誰にでも当てはまる調和する能力について、この著書は触れるからです。

 カントのいう、断力とはどのような力なのか。

 一言で言えば

 思考に頼らず感情に関わらず、目の前の価値を識別する力です。

 カントはその能力を、Reflexion(投影・反省)のフォームだと考えました。思考に頼らないのであれば、その判断は独善的になるもしれません。それを、どうしたら区別できるかも問題になります。検証方法は簡単です。

 重複しますが、思考に頼っていないか、感情に働いていないか、を地道に確認することです。

 すると、自分の判断が、独善的か普遍的か。或いは、主観的か客観的かを、ある程度、検証できると言います。

 なお、正しい判断が働く時、調和(harmony)の心地が生まれます。その意味するところは、第三者もその心地よさを共有できる性質があり、その性質が発見された、ということだと言えるかと思います。

 これは実感する他に検証のしようがないものなので、カントの理論は仮説です。さて、この仮説の正しさは、証明は出来るのか。


 上記に書いたように、個人が実感することや、
この仮説を支持する人がマジョリティとなることでしか、証明できないと思います。

 ちなみに、前回の学習会で取り上げた「ハンナ・アレント」は、判断力を基盤に、政治論を展開しましたが、ここにも実感を伴う人と伴わない人で、著作から抱く感想は変わります。

 少なくとも、知識として哲学者が何を構想したのかを知るだけでも、面白いと思いますので、どうぞ、機会があれば、図書を手にとってみてください。 

 カントは様々な学術書に引用されるので、文体に馴染んでおくことをお勧めしたいです。

 マチノキッド井上の、イチオシ著作『判断力批判』どうぞ、一度、手にとってみてください。

 

判断力批判 上 (岩波文庫 青 625-7)

判断力批判 上 (岩波文庫 青 625-7)

 

 

 

 

『政治の約束』(ハンナ・アレント、2005 編 ジェローム・コーン)

 

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Basel University

(3.29updated)

 こんにちは。
 今回は、第7回マチノキッド学習会のテーマ図書、ハンナ・アーレントの論考集『政治の約束』(訳 高橋勇夫、ちくま学芸文庫、2018)を取り上げます。早速、引用します。

 トクヴィルは「過去が未来に光明を投じるのをやめてしまったので、人間の精神は暗がりの中をさまよっている」 と述べている…
『政治の約束』P102
 

 

 トクヴィル(1805ー1859)は、仏の思想家です。

 むかしむかし、アメリカで民主主義がはじまった当時。
 「民主主義とは多数派の専制政治」だと論じた人です。

ニーチェが、哲学者とは、いつもその周りで異常なことが起こる人間のことだ、という時、彼もまた同じことを語っている。
『政治の約束』P97

 ニーチェ(1844-1900)は、哲学者自身は、日々、驚きに溢れているけれど、それ以上でない、と。

 古くからの哲学の暗がりに、気づいていたようです。

 

 

 ハンナ・アレント

 (1906ー1975)

 この政治学の著作に触れるたび1回目2回目、彼女の展望の大きさに、驚かされます。

 『公共』とは何か、という彼女の視点が、(イノウエの眼差しからすれば)神がかっているからです。

 

 彼女の残した文面は簡単にすらっとは、読ませてくれません。

 その上、読解がすすむと、共感が広がる。という代物でもないのです。

 共感を味わおうものなら、輝かしい未来の確信に、読者を到達させるのです。ひぇー、と、ため息がこぼれるような、やんごとなき内容が語られています。

 

新しい

 

 この言葉は、古びた言葉だと、これまでは思っていました。
 新しい価値観など、実は、どこにもなく。

 過去に生まれた価値の焼き直しを、次の世代が循環させているだけだと、思っていたからです。

 

 それが、どうやら違う。

 いや、はっきり違う。

 と鉄槌を叩き込んでくるのです。

 アレントは、「創始せよ」と強く読者の背中を押します。個を重んじます。
 

 

 「新しさ」というものが確かにある。自分に問いかけてみよ。と、迫ります。すると見たこともない領域に、足を踏み出そうとする感覚に、読者は直面するのです。

 

 はぁ。

 

 アレント

 あんたは、とんでもない遺産を人類に残したな。

 ぼくは、昔から変わったところがあって、アインシュタインの文献にのめり込んだり、難解とされるイマヌエル・カントの文献を愛読書にしたり、割と特異な部分があると自負してます。


 20代で芸術活動に勤しんだ後、その後、大学で
古典に触れ、かつての文人と話し相手にならせて頂いたような感覚があります。


 ですが、文献を拝受させていただいた彼らと、有意義な会話ができたのは、それは、趣味の内側だった、
からです。


 ちっぽけな自分なりに、陶酔しながら、意気揚々と活字に触れてこられたのでした。

 この二人は、ぼくの日常を楽しませてくれました。


 カントに至っては、世界一重要な基礎知識を、人類に相続させようとした偉人だと思わせられます。市場と欲望の均衡点や、資本主義の潜在性について、着目させてくれたカントの視点は、面白いのでした。

 

 けれど、アレント

 あんたは、ぼくのような希望を抱く酔っ払いに、氷水を浴びせてくるんです。あなたは、現実の敵が誰かを暴いてしまった。

 

 暴くなら、その敵の巨大さまでは知らせないで、よかったのです。希望の風船に針を刺したら、それは戻りません。

 もしその正体を暴いたなら、そのまま放っておいて欲しいのです。諦めるほうが楽だからです。

 にもかかわらず、それでも克明に、新しい対策と心構えを、次の文章、次の文章と渡って書き留めていくのです。

 そして、敵の正体は「個(自分)」にあると綴ります。

 過去の天才や哲学者を、ジャニーズスターのように祭り立てて、あとはぼくらを現実に連れ戻します。

 アレントさん、あんたは何がしたいんですか。
 ゆすり屋ですか。落胆させておいて、リハビリ施設を調達して、問題を再設定して、攻略の道具を選ばせる。
そして

 君が用意するのは、あとは、勇気だけだよ。
 さぁ、現実社会で命を燃やせ


 と、舞台を設えるのです。

 

 

 そういうわけで、一市民にとっては、骨の折れる文章なのでした。そして、見方によれば、アレントの著作は、過去からの「手紙」なのでした。凡庸なぼくは、話の大きさに目を丸くするわけです。

 話を、アレントの展望に戻します。

 アレントの独自性は、この点にあります。

 

 娯楽⇆消費⇆生産活動⇆娯楽…

 

 この日常の生活スタイルから、ある資源を浪費させないための、ライフスタイルを提案した事です。

 その資源を回収するライフスタイルと、それを稼働させる方法を文章に
まとめたのが、アレントの業績です。

 それは、「知識の永久の奴隷になるだろう」とご指摘なされるところの無批判生活から、市民を解放する方法論です。

 この時の資源とは、人間の思考力と尊厳です。

 

 独特なのは、資本主義社会の内側で可能なヴィジョンとして、それを考案したことです。内側というよりも、資本主義の中心を描いたことです。それも、アレント が精査した過去のどんな哲学者も描けなかったような方法で、です。 

 

 異論はさまざま、あるかと思います。
 ぼくの許容量の範囲で彼女の論点を超訳すると、
上記が、アレントの背骨です。用いる用語も、一旦、自分の言葉に置き換えています。

 

 アレント『カントの政治哲学講義録』を見ると少しわかるかもしれません。

 

 文化財の正当な尊厳は、それらが「物」であること、すなわち、「世界の恒久的な付属品」であることのうちに存する。その「卓越性は、生命過程に抵抗する力によって測られる」 

 生命過程に抵抗する力によって、尊厳(人間らしさ)が測られるそうです。

 娯楽は、厳密な意味では消費財であり、人間の「自然との物質代謝」の不可欠な部分(生命過程)である。  

 生命過程とは、ぼくらの生活スタイルです。文化財は、その代謝とは一線を画します。

 人間の尊厳は、文化財として形となり、『人間の条件』の根拠であり、『政治の約束』によってのみ確保される唯一の資質だと、アレントは論じます。

 その方法は、個の卓越性(差別化)にあると、アレントは口を酸っぱくして言うのです。彼女は、「公」の領域によって個が育つと考えます。

 その職業の動機となっているのは私的なものに対する配慮(cura privati negotii)か、公務に対する配慮(cura rei publicae)か?
 『人間の条件』PP138ー139

 
 一般的に、「公」の対概念は、「個・私」のように思われますが、アレントは、
個の内側にある「公」と「私」を区別します。


 個人の内側の「公」の性質が、また別の人の「公」と繋がる場を、「公共領域」と考えた、とみることができます。そして、
公的領域に配慮せよと、読者を誘います。

 それは、個人の安寧と自由を保障するため。

 というわけではありません。

 

 個人の自由が保障された時、それによって、結局のところ、思考停止に陥らない、あるいは、全体主義に陥らない、寛容な社会を、築くことができるからです。


 その町には、ぼくたち市民の独自性が、発揮される機会に恵まれます。

 

 言論と活動は単なる肉体的存在と違い、人間が言論と活動によって示す創始にかかっている。しかも…人間を人間たらしめるのもこの創始である。

 『人間の条件』p286

  

 はじめましょう。

 と、アレントは呼びかけます。

 

 カントは人間科学にまつわる膨大な資料を、この世に残しました。その後、余生を静かに過ごしました。

 アレントは、彼らが残した遺産を、息の途絶える間際まで、現実に運用するにはどうしたら良いかと歴史上の様々なアイディアを結び合わせていきます。

 「過去の光明」を現代に灯すように、その集大成を書籍に残しました。

 その凄みは、ぼくにとっては翻訳本からではありましたが文面の節々から感じるのでした。

 ぼくにとって3冊目となる、アレントの著作『政治の約束』を通して、不思議と、非力な自分に直面しつつ、綱渡りをしているかのような緊張が、下の方から伝わってくるのでした。

 足元がスースーする感じです。
 少なくとも、アレントさんの「手紙」を、読むべき人が読めるように、主観的な視点の、ブログですがアレントに対する、思いを書かせていただいた次第です。

 

政治の約束 (ちくま学芸文庫)

政治の約束 (ちくま学芸文庫)

 

 

  

『ピエール・ブルデュー(1930-2002)』

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 月一の学習会にて、今回取り上げさせていただいたテーマ図書は、『ピエール・ブルデュー1930-2002)』(著 加藤晴久 藤原書店)です。

 

 ブルデューはフランスの社会学者です。どんな方だったかと言うと、たとえば、とある命題があり、それが「寛容は美意識に基づくものである」であった場合。この感覚を、理論と仮説で論じるのではなく、統計に基づいて考察するのがブルデューでした。 

 早速、対談内容から、興味深かった点を引用します。

" ペンで紙の上に書く、チョークで黒板に書く、大きく描く、小さく描く、いろいろですが、一人の人間が書くものには固有の形、姿、特徴があって、それを見ればすぐ、これはあなたの書いたもの、これは私の書いたものとわかります。多様性を超えたところに、ある統一性があるわけです。p27"

 なにをしてもその人の跡が残される、ということでしょうか

" これがどのようにして形成されるか。興味深いのは、ハビトゥスは明らかに後天的に獲得されるのですが、それの獲得のされ方は全く無意識的であるということです。ハビトゥスという私たちの中にある原理、文法は私たちに左右できないもの、私たちの統制の及ばないものであるということです。p27"

 ハビトゥス≒生成原理(社会構造と、そのなかで人々が構築し、産出する、認識、判断、行為との間を、媒介する概念 コトバンク

" 決定論を認識することによって一つの自由を獲得できるのです。(略)例を挙げます。デカルトスピノザライプニッツら古典哲学者は、人間は情念を持っていると言っています。彼らが情念について語っていることは私がハビトゥスについていうことと同じです。情念を変えることは難しい、情念を変える一つの方法は情念を知ることだというわけです。p28" 

 このブルデューの指摘に対し、取材者の加藤氏はこう返答します。

 

" よくあなたは、重力の法則があるからこそ飛べるのだとおっしゃいますが、そういう意味での自由ということですね。p29"

 ___

 上記を含め興味いやりとりを垣間見ることができました

 人は環境に束縛されているとは、よく言いますが、情念に支配されているという、視点は新鮮でした。想像力があるからこそ、身にしみる拘束力です。

 

 そこで、目下、ぼくにとっての興味は、ハビトゥス(≒生成原理)を知ることで、いったい、どのような自由を得られるのか、という点に移ることになったものの、実際には、まだピンときておりません。
 

 この機会に、彼の主著の一つ、『ディスタンクシオン』を手に取り、ざっと眺めてみました。漠然としたままですが、ぼく自身が、この学習会でハビトゥスを知ったことで、また別の課題を抱くことができたと思います。そこで、ハビトゥスによってまた別の意欲を発揮したのだと気がつかされました。

 

   この、意欲とは、

「ブログを書くことです」

 

 ぼくのハビトゥスはカントの言うところの「判断力」や、ブルデューの言うところの「社会的判断力」の原理を知ったこと、あるいは、この知識を得ることのできる自分の生活環境そのものだったと思わされます。

  冒頭のメタファーに置き換えれば。一連の生活の、因果関係が、ぼくの固有の筆跡になるのかと思います。

 

   ブルデューの著書『ディスタンクシオン』の副題は、『社会学判断力批判』です。ここで『判断力』がブルデューにとって重要なテーマだったことがわかります。

 『ディスタンクシオン』は、フランス語で、Distinction=識別を意味します。転じて、≒卓越化、と訳されました。

 人と自分との違い≒個性は、差別化の結果だと考えたわけです。この差別化≒卓越化は、どのような資質をその人の個性として扱うのでしょうか、気になるところです。

 

 自分がもしコカ・コーラを好きであれば、コカ・コーラを毎日飲んでいる、というだけでその習慣を、その人の個性と言って良いか。

 どうでしょうか?

 カントによれば、純粋な判断力とは、身体感覚にも習慣にも囚われない生得的な判断力です。

 単に美味しいから、という理由でコーラを好きになった場合には、その人らしさ、とは関わりを持たないことになります。

 

 たとえ、コーラが好きでも味覚だけを根拠にすれば、人との差別化を意味する、ディスタンクシオンの条件には合致しない、ということです。

 

 これらを踏まえると、例えば、現代アートはどのように卓越化が図られているのか、という視点でも作品を見ることができます。この観点に投射範囲は広範にわたるようです。

 芸術や美学まで、守備範囲の広いこの『判断力』は、この原理を知ったことで、さらに哲学に興味を惹かれ、自分の生活環境を再構成していったのだと思います。ここに、ハビトゥスを感じないわけにはいきません。それを知ったことで、自由を1つ増やしたと言えるのかと思います。

 

 今回も、学習会を通して、独学も続けた結果、実りあるものとなりました。読んでいただいた方ありがとうございました。

 

 次回の学習会。

再び、ハンナ・アーレント『政治の約束』を取り上げます。

 

 

ピエール・ブルデュー―1930‐2002

ピエール・ブルデュー―1930‐2002

 

 

 

 

『人間の条件』 (1958 ハンナ・アーレント)

 この著書は、志水速雄氏によって1994年に翻訳されました。英語版の『Human Condition』を基に翻訳されましたが、アレントの主題を的確に表したのは、もしかすると、母国語、ドイツ語版『VITA ACTIVA』だったのかもしれません。ラテン語で意味するところの『活動的生活』です。

アレントは画一主義・行動主義と戦う哲学者です

 知識と思考とが、永遠に分離してしまうなら技術的知識の救い難い奴隷となるだろう p13

 これに勝るとも劣らないほど驚異的なもう一つの出来事は、もっと身近にあり、やはり同じように決定的である。それはオートメーションの出現である。p14

 行動主義(ビヘイヴィアリズム)とその「法則」は、不幸にも、有効であり、真実を含んでいる。人々が多くなればなるほど、彼らはいっそう行動するように思われ、いっそう、非行動に耐えられなくなるように思われる p66

世の中の趨勢から解放される「活動的生活」を提唱しました

私の意図は…「活動的生活」の活動力の政治的意味をある程度確実に明らかにしようとすることである。p110

歴史は「活動」を、なかなか明確に区別しませんでした

伝統的ヒエラルキーにおける観照の圧倒的な重みのために、「活動的生活」それ自体の内部の区別と明確な文節が曖昧となった…

この状態は、近代が伝統と訣別し、最後にマルクスニーチェがこのヒエラルキーの順位を転倒したにもかかわらず、本質的には変化していないということだけである。p31

 私たちにとって重要なのは、その後の事態の発展のために、このような区別を理解しようとしても、それが異常に困難だということである。私たちの理解では、この境界線は全く曖昧になってしまっている。p49

 

新しい公共とは

労働・仕事・活動の区別を明確にすること

※「労働」は私財・消費財を生む働き、「活動」は公共・世界につながる働き

 無世界性の経験に厳密に対応している唯一の活動力が、労働なのである。p172 

このような生命過程の内部では、人間は労働する力を得るために生き、消費するのか、それとも逆に、消費の手段を得るために働くのかというような、目的と手段のカテゴリーを前提とする問いを発することは意味がない。p235

 人間の活動力は、すべて、人々が共生しているという事実によって条件づけられているのだが、人々の社会を除いては考えることさえできないのは、活動だけである。p43

※「仕事」とは耐久性のある制作や生産物の事
 ときに消費財(労働の結果)になり、ときに生産物(活動の結果)になる

「社会化された人間」の内部では、労働と仕事の区別は完全に消滅するであろう。

 なぜなら、すべての物が客観的で世界的な特質において理解されるのではなく、生きた労働力の結果であり、生命過程の機能であると理解されるために、全ての仕事が労働となるからである。p143

社会が自ら進んで受け入れている唯一の例外は芸術家であって、かれらは、厳密にいえば労働する社会に残された唯一の「仕事人」である。p189

公・私の区別を明確にすること

 「公的」という用語は、世界そのものを意味している。p78

 ある活動力が、私的に実現されるか、それとも公的に実現されるかということは、決してどうでも良い問題ではない。p71

 公的領域のリアリティは、…無数の遠近法と側面が同時的に存在する場合に確証される。…他人によって見られ、聞かれるということが重要であるというのは、すべての人が、皆このようにそれぞれに異なった立場から見聞きしているからである。これが公的生活の意味である。p85

 時間と労力が一層多く費やされているのは、私的領域においてか、公的領域においてか?その職業の動機となっているのは私的なものに対する配慮(cura privati negotii)か、公務に対する配慮(cura rei publicae)か? p138

・私的配慮
 
(労働生産物、生命過程…)

 ※労働の目的は、ほとんどが消費活動に向けられている。目的は多様であっても、最終的にはほとんどの場合、私的消費に結びつく。

 労働と生命過程の循環運動の結びつきを強調するのは珍しくなかった。例えばSchulze-Delitzschは、その講義Die Arbeit(Leipzig,1863)にて、「欲望ー努力ー満足」の循環を描くことから始めている。「最後の一口ですでに消化が始まる」p207

近代社会では、…生産は何よりもまず消費のための準備行動であって、ここでは、「工作人」の活動力の特徴としてあれほどはっきりしていた手段と目的の区別そのものが単純に意味をなさなくなっているのである。p235

・公的配慮

 (公的生産物・言論・活動…)

 ※アレントの言う「生産」とは、個人の創意工夫、卓越性の発揮される公的活動。公的世界で耐久性をもつ物質や政治体制を意味する。

 ギリシア人ならareteと呼び、ローマ人ならvirtusと名付けたはずの卓越そのものは、いつの場合でも、人が他人に抜きん出て、自分を他人から区別することのできる公的領域のものであった。p73

 教育も、創意工夫も、才能も、人間の卓越にふさわしい場所となっている公的領域の構成要素に取って代わることはできないのである。p74 

活動と言論の「生産物」があり、それらはともに人間関係や人間事象の網の目を構成する。p149

 活動と言論の「生産物」は、そのままの状態では、ほかの物が有する触知性を欠くだけでなく、消費のために生産されるものよりも耐久性がなく、空虚である。

 それらが、世界の物となり、偉業、事実、出来事、思想あるいは観念の様式になるためには、まず見られ、聞かれ、記憶され、ついで変形され、いわば物化されて、詩の言葉、書かれたページや印刷された本、絵画や彫刻、あらゆる種類の記録、文書、記念碑など。要するに物にならなければならない。p149 

ここまでたどり着いた方に質問です

 言論と活動は、人間が物理的な対象としてではなく、人間として、相互に現れる様式である。この現れは、人間が言論と活動によって示す創始にかかっている。しかも、人間である以上、止めることがでいないのが、この創始であり、人間を人間たらしめるのもこの創始である。p286

「活動する」というのは、最も一般的には、「創始する」「始める」という意味である。p288

活動しますか、労働しますか?

 論旨は複雑かもしれませんが、著書からは、アレントの見識の凄みを随所に感じることができます。ぜひ手にとってみてください。

 

 

人間の条件 (ちくま学芸文庫)
人間の条件 (ちくま学芸文庫)
 

 

『国家と宗教』(1942 南原繁)

  月一の学習会で、一冊の本を題材に意見交換をしており、今回、図書館司書の方に勧めていただいたのが、この著書でした。
 著者は、内村鑑三氏の弟子です。その内村氏の文章も先日マチノキッドリサーチで取り上げさせて頂きました。今回その南原繁氏の著作、『国家と宗教』の書評です。

(1/10updated)

 著者、南原繁氏は1889年、香川県に生まれます(没1974)。1914年に東大法学部入学し、25年に教授。終戦の45年には東大総長に就任されました。
 サンフランシスコ講和条約に関して米国との単独講和でなく、国連との全面講和(日米間の安全保障条約でなく、国連か戦勝国それぞれと安保条約を結ぶ方針)の方に正統性があったと主張し吉田茂氏の論難を受けるなど、世間の注目を集めた人でした。当時シゲル対決と煽られたでしょうか…

 本書『国家と宗教--ヨーロッパ思想史の研究』(2014、岩波書店)では、古代ギリシャから現代に渡る西洋の精神史を軸に、国家と宗教の共存の是々非々が論じられます。さらに、独・哲学者イマヌエル・カント(1724-1804)の哲学から、国体と信仰の共存の可能性が指摘されます。

 南原氏は特に、カントの『実践理性批判』の哲学を中心に論を展開しており、実践理性に関する前知識のない方には難読書に違いありません。親しみの無い方は、 マチノキッドリサーチに掲載されている※補足 も参考にしてください。
 近代哲学を基礎づけたカントの哲学の、中でも道徳を扱う『実践理性』について知っておくと、この著書は読みやすくなります。

 本文は、古代ギリシャの話から始まります。ソクラテス以前の啓蒙時代、哲学者は議論に勤しみ、個人精神を高めました。人間を世界の中心に据える契機となりました。一方、中世の宗教国家においては、国体と教会の積極的な結びつきが人間性の没落を招いたと著者は示唆します。
 南原氏の着想は、一方で人文主義を重宝しますが、過度な人間中心の思想が、普遍的知性を埋没させるというものです。
 さらに、人間復興の時代と称されるルネッサンス期を、古代の啓蒙時代の再来と捉え、また、中世の宗教国家の人間性の没落を、ナチスドイツの授権政治と、重ねて捉えたのでした。 

 あらゆる時代に矛盾を孕む人間史において、自由意志と普遍的知性が適度に折り合う、人間理性の可能性に南原先生は着目したのでした。こうして、描かれた論旨は明快です。

 『実践理性』への信仰が、個人精神と理想国家を共存させる
との論旨です。
 ちなみに、イマヌエル・カントは、神という言葉の使用を避けました。個人の美意識の源泉は、ヌーメノン(Noumenon≒知性界)にあると捉えました。この美意識が人々の経験する世界(Phenomenon)に反映されると考え、そのときに働く理性を、『実践理性』と呼びました。経験に基づく『理論理性』とは明確に区別されたのでした。

 「神」という語を使わずして、(平易に言えば)あの世とこの世の二つの理性が両立する、と説いた開眼は、カントをして近代哲学のパイオニアと言わしめる所以です。

 

 ところが。
 再び、南原先生は「神」を掲げたので面白いです。カンティアンからすれば驚きかもしれません。

 我々の一切の義務を人間自らの意志の原理としてでなくして、神の命令として認識することにより、ここに人間無力の補いとして神の意志が「協働」する P166

 神の登場です。
 南原先生は、神の意志が「協働」することで『実践理性』が働くと明示した点は、哲学と神学を重ねる興味深い視点です。

 この点が世界の哲学史からみて、どのように位置付けられるのかはわかりません。
 もしかしたら日本独自の視点なのかもしれません。信仰の対象が宗教だった時代、あるいは、哲学の対象が合理性だった時代から、カントは人々を解放しましたが、南原先生は、信仰の対象を、人間の側に再び呼び戻したのでした。

 この姿勢が、直接の教えを受けた内村鑑三氏の思想的系譜の流れにあることは想像に難くありません。内村氏も同様に、デンマークキルケゴールの実存哲学に共感し、自ら、キリスト教無教会派と言われる、宗教と哲学の共存の思想を牽引した人だからです。

 西洋哲学と信仰心の間に、血の巡るような思想の系譜が、この日本に存在していたことが分かります。この点から、本書が歴史的に着目されるべきものと思わされ、その構成は爽快に思えるのでした。

 上記の視点から、南原氏の『国家と宗教--ヨーロッパ精神史の研究』は、日本において消えかかる信仰と哲学の深く関わる領域、あるいは、宗教者の言うところの「神学」の眼差しを、再び、一人の人間の「実存」に呼び戻す、実践的な著書であるばかりか、この信仰へのまなざしが岩波文庫の再販の目論見に適うのであれば、現代出版界における見事な采配だと指摘せずにいられません。
 なお、書名に掲げる『国家と宗教』の「国家」に関しての言明は少なく、かつ理想的な政治体制の実務を指南するガイドラインではありません。
 その意味で本書は純粋な思想書と言って良いかと思います。