イノウエさん好奇心blog(2018.3.1〜)

MachinoKid Research 「学習会」公式ブログ ゼロから始める「Humanitas/人文科学」研究

森友問題の責任はイノウエにあります

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今年度も始まりました。

よろしくお願いします。

 

ここ10年間。

苦手であったけれど、興味深かった分野。

ひとくくりに言えば、『哲学』を学び続けてきました。

 

そして私は、今、怒ってます。

学んだにかかわらず、増えるのは、やっかいに思われるもの、だからです。

初めから、それを期待したわけでもなく、どちらかといえば、ひとつづつ減らした方が喜ばれたような、それです。

中学生や、高校生なら、増えるほど賞賛されますが、平凡なただの40のおじさんには、むしろ、世の中の奥様方から、たたんでタンスにしまって欲しいと願われる、それです。

一言で言えば、です。

 夢というからには、漠然としてます。社会人になると多くの人がそれを置き換えるところの、事業計画書といった具体的なものとは訳が違います。もっと、やわらかくてネバネバしており、そして、大それたもの。別の言葉で言えば呪いです。

 

まったく、ある日、夢に謎の人物。

キルケゴールという人が出てきて、(夢の中の)高校の図書館から自分を呼びました。ページを開くと、中から森が飛び出したり、立体的なバースデーケーキが立ち上がるわけでもなかったのに。です。

今ふりかえれば、あの時、30歳の時に、受験勉強を始めたのが原因かと思いますし、もっと前からのような気もしますが、きわめつけは図書館で働き始めたことでした。そこで、致命傷を負ったような感じ、、

傷口を広げて、そこに活字という名の辛子を練り込んだような感じ、、がします。

挙げ句の果てには新聞を読むのも日課。本棚に聖書。引き出しにはカントが鎮座する始末。呪われたと言わずに、なんと言えば良いだろう。

 

こうなると、森友問題、改憲問題、国際紛争、教育問題、が哲学という高級菓子の受け皿のようになり、どれも専門家が指摘するところの諸管轄の責任者の問題であると同時に、その責任の一旦が自分にあると明言できてしまう。(与党以外の議員の趨勢が違法とみなす法案を、次々と可決する不思議な民主政治を到来させた日本の人気争奪選挙での本当の敗者は、私たち一人一人の中から消えかかる哲学自身だと思えるから)

 

さぁ、責任逃れを果たすべく、釈放を願って、まずブログを書きます。

 

というわけで、今までクールに哲学ブログという雰囲気のおしゃれブロガーとして歩き出そうとした自分でしたが今後は、いよいよ調布の田舎のおじさんらしく、もう少し、言い逃れ的な、自己弁明型のブログで送りたく思う次第です。

なお、現在運営中のリサーチサイトも継続するので、どうぞ訪ねてやってください。

  

ふとパソコンの隣をみると、机の上には、エラスムス(1466-1536)の『痴愚礼賛』の訳出し本が。ちなみに、慶応大学出版会のものです。こんな辛子みたいな文章、一体なんの役に立つのか。
そう、思えば思うほどと、ワクワクするじゃないですか、まったく、こまったものだ。

 

 

 

『大学の使命』(1930 オルテガ・イ・ガセット)

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Chi non può quel che vuol, quel che può voglia
(欲することを叶えられない者は、叶えられることを欲せよ)
Leonardo da Vinci
1930『Misión de la universidad』、オルテガ・イ・ガセット、『大学の使命』

 スペインの哲学者オルテガ・イ・ガゼット(1883-1955)は、習慣(群集心理)から距離を置く、生・理性(Razon vital)の教育を推奨しました。

 自分自身に対する尊敬の念を失うことなしに、自己の本性の偽造に慣れ込むということはありえない
同書

 オルテガは、平均的な水準の学生を念頭に、尊敬の念や、興味や関心の大切さを説きました。冒頭のレオナルド・ダ・ヴィンチの言葉も、意欲を抱くことの大切さを示す意味で、引用されたものです。

 物事に驚くこと、不審に思うことは、理解し始めることである。
〜驚きに見開かれた目こそ知的な人間の属性なのである。
〜それだからこそ古代の人々はミネルヴァに、常に目を光らせた鳥である梟(フクロウ)を与えたのである。
同書

 ミネルヴァはギリシャ神話に出てくる知恵の女神です。

 なお、実感ある生活者の姿勢を、オルテガは、一人一人の態度の問題というよりも、教育機関に責があるものとして考察します。
 
 オルテガの『大学の使命』では、下記のような論旨を展開します。
 社会を支配しているのは経済性である。過去には帝政ローマ、そして現代の生活圏の中に、経済性を基盤にした論理が浸透している。それは、驚きや好奇心を抱く人々の目に取って代わり、平均的な人々の知識を、社会の至る場面に台頭させるものだった。大学教育においては科学研究が繁茂し、実証主義を掲げ、断片的に知識を扱うようになった。

 これ以上、科学人はただ一つの対象だけに非常に博識であるという野蛮人であってはならない
同書

 そして

 知識の有効な総合と組織化・体系化の創造が必要である
 そして、総合化のできる特殊の才能タイプを育成しなければならない
同書 

 と、体系性のある知恵について、見直しの必要性を指摘します。

 同時に、時間と能力の限られた平均的な学生に向けて、その方法を論じます。

 今われわれが、その呼び名を求めているもの、すなわち、本来の意味で人間的な事柄の総体を、Humanidades(ウマニダーデス)という呼称それだけで的確に言い表そうとするなら、われわれはその過去の用語の過度に限定された意味を払いのけ、それ本来の自発性、自然性において働くようにさえすれば、それで十分なのである。
『人文学研究所(趣意書)』 

 Humanidadesという語句は、中世と近代、現代にまで伝わることとなったHumanities=人文学の語源(ラテン語Humanitates)のスペイン語訳です。

 我々はかくして、大学教育は次の三つの機能からなるという結論に達する
1. 教養の伝達
2. 専門職教育
3. 科学研究と若い科学者の養成
同書

 特にオルテガの着目したのは「教養の伝達」です。教育現場において、学生の自発性、自然性、驚嘆の目を育む方法が採用されているかを、絶えず注視する必要がある。と、冒頭のダビンチの言葉に重なる主旨を、著作の中で論じたのでした。

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(3/2 補足)

 1955年に亡くなった彼は、その意思を反映した大学がイギリスに設立されるなど、当時のヨーロッパへの影響力を誇りました。(ノース・スタッフォードシャイア大学)

 1880年プロイセンの大学を手本として設立された日本の帝国大学は、当時、すでに研究科を大学院に設置していましたが、教養課程と、専門課程のそれぞれに履修規定を課したのは、1956年になってからのことでした。のちに形骸化したといわれる一般教養課程ですが、オルテガの論旨は今でも新鮮に思えます。

 なお、オルテガが、一連の教育改革を、初等・中等教育ではなく、高等教育に絞った理由は、当時、複雑化した科学的研究の弊害が、すでにドイツ・フランスの大学に見られていて、初等・中等学校で見られなかったから、という理由だそうです。さらりと書かれた箇所がありました。

 幸いにも、現在の学者世代の代表的指導者たちは、今日の科学そのものの内的必然性からして、その専門主義と統合的教養とを釣り合わせることの必要性を感知するに至っている
〜少なくとも、初等学校や中等学校の授業にすでに行われているような方法が、高等教育の中に見出されない間は、その達成を期待する事はできないだろう。

 

 

大学の使命

大学の使命

 
大衆の反逆 (中公クラシックス)

大衆の反逆 (中公クラシックス)

 

議論しない方が勇敢にみえる?

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足音

国民の良識は、常に、最良の軍勢である 

ウィリアム・O・ダグラス 訳:奥平康弘
基本的人権』1985 

 

奥平康弘さんの翻訳を少し眺めました。
基本的人権」ってなんだろう。

一ページ目からわかりやすかったので引用しました。

ペリクレスは言う。
行動の大きな障害となるのは、議論をすることではなくて、むしろ議論によって得られる行動の、準備のための知識を欠いていることにある。我々は行動を起こすに先立って、考えるという固有の力をもっているとともに、また行動するという力をも持っている。ところが多くの人は無知なるが故に勇敢である。しかし、じっくり考えた場合には、尻込みするのである

ウィリアム・O・ダグラス 訳:奥平康弘
『同著』 


議論は何も生まない、という話を聞いたことがある。だからまず行動しよう、というスローガンなどもたまに聞く。
上記では、議論が、行動の障壁となるとも書いている。

 

議論を経ない行動と、準備された行動と。

行動することの大事さでは、どちらも同じだ。

ただもし、考える習慣や知識のないままでは、
じっくり考えた場合には、結局、尻込みするそうだ。

そして、考えることが人間の権利のようだ。

勇敢でもろいより、考えて行動するほうが、人間ぽい

基本的人権

基本的人権

 

『カントの政治哲学講義録』ハンナ・アレント

 

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カトマンズにて

 

 

 ハンナ・アーレント(Hannah Arentdt 1906˜1975)

彼女は、西独ハノーファーに生まれたドイツ系ユダヤ人の政治哲学者です。戦時中はパリや米国へ亡命していました。

 人の考えることの大切さや、想像力に近い判断力の重要性に言及した人でした。アーレントの言うところの「判断力」は、政治そのものの存在理由でもありました。彼女は「人が人間らしく思考(判断)できる公共領域の確保」を、政治の第一の目的と考えました。

 どういうことか。

 彼女は、独裁政権下のナチスの高官、アイヒマンを研究の対象としましたが、皮肉にも、この時、彼女は二重の思考の欠如に気がついたのです。一つは、アイヒマン本人の、もう一つは大衆のものでした。

 アイヒマンに対する一般的な糾弾は、大量虐殺の実務を担った官吏に弁明の余地はない。というもので、この判断が人々の趨勢を占めました。
 一方、アーレントの糾弾は、2度と繰り返されてはならない惨事の根本原因、個人の判断力の限界に関わるものでした。

 終戦後、アイヒマン裁判の公聴会に足繁く出席した彼女は、当時、虐殺を指示した本人の責任能力の程度に着目しました。そして独裁政権下の人間の、思考能力の欠如に言及したのです。
 この振る舞いが同胞(ユダヤ人)の批判の対象となったことは、想像に難くありません。見方を変えれば凶悪犯を擁護したと誤解を招くからです。アーレントはNYのニュースクール大学の講義でこう語ったと言います。

もし我々がその場に居合わせず、関わりがなかったとするなら、我々は人を裁くことができない、と言う議論は、時に説得力を持つ。だが、もしそれが真実と言うことになると、司法行政も歴史の著述も全く不可能である。p148『カント政治哲学講義』

 「戦時中の人間の思考能力の程度など、亡命の第三者に判断できるものか」と、当時、非難されたでしょうか。
 彼女は、観察者の立場だからこそ、適切な判断を下せると考えました。アーレントは続けて、こう言います。

世論によって、我々の裁きが許される事柄は、人々の趨勢であり、要するに、区別がつけられないほどに一般的なものなのである。したがって我々は、例えば、全人民の集団的有罪や集団的無罪という理論が流行るのを見いだす。
(〜このことは)「個人の道徳的責任において判断するのを嫌がること」と結びついている。この判断力の萎縮がまさしく、アイヒマンの途方もない犯罪をまず第一に可能ならしめたものであった、ということは悲しい皮肉である。
P150『カント政治哲学の講義』

 と、考察したのでした。

 アーレントの伝えたところの「判断力」は、想像力、あるいは多数派に流されずに行動する、勇気に関わるものだと、言えそうです。

 ナチスの諸処の異常性が虐殺の原因にはなりえても、観察者の「判断力」を埋没させた人々の趨勢に、その萌芽があったと論じたアーレントの視線は辛辣です。

 そして、こう述べます。

人間精神の能力としての「判断力」、そしてこの能力の機能する条件としての人間の社交性、~これらの主題はすべて卓越した政治的意義を有しており、政治的な事柄にとって重要である。 P15 『カントの政治哲学の講義』

 判断力を支える社交性が、政治的に重要だと言います。

 さらに、下記を踏まえると、アーレント自身が、政治の目的を、人々の思考、判断力の保たれる環境の確保にある、と考えたのは確かなようです。
 アーレントはこの判断力こそ思考に関わる文化の本質であることに触れ、古代ギリシャの歴史家トゥキュディデスを引用します。

文化が示すものは、活動する人間によって政治的に確保された公共的領域が
〜その本質を発揮する空間を提供する、ということである。(トゥキュディデス)p153『カントの政治哲学の講義』


イノウエの個人事業、MachinoKidは、リサーチライブラリーと、アート作品の展示サポートを仕事にしているのですが、この調査活動と芸術活動をまたぐ活動は、まさに二つの領域をつなぐ「判断力」を共有する仕事のように思います。なので、アーレントをリスペクトしない訳にはいきません。

 年の瀬が近づいてきましたが、まだまだ話を広げられるように、来年も月一ペースでブログ続けたいと思います。(12/27updated)

 

 

カント政治哲学の講義 (叢書・ウニベルシタス)

カント政治哲学の講義 (叢書・ウニベルシタス)

 
アーレント政治思想集成 1――組織的な罪と普遍的な責任

アーレント政治思想集成 1――組織的な罪と普遍的な責任

 

 

パラドクスの空で眠る

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 『方丈記』(1212)の有名な一節を、改めて反芻してみると、今までと違う感覚に襲われました。そのことを今日は書いてみます。

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。

淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。

世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。 

 

 著者、鴨長明の、この書き出しは、世の中に常なるものはない。日本古来のいわゆる「無常観」を随筆に込めたものだと解説されます。

確かにそうなのだと思います。

 

 ですが、ふと感じることになった別の解釈をさせて貰うと、この随筆の肝は、愛情じゃないでしょうか。

 というのも、この川の流れに着目した時の長明さんの心情が、淀みに浮かぶうたかたの、その時の太陽に照らされた輝きや、移ろいゆく表情の豊かさなどの情景に基づくものだとしたら、この文は、無常を表しているというよりも躍動感や、哲学的な意味で言うところの「実存」を表していると思うからです。もっと言えば、川の情景への親しみの結果として、無常観が表現されたと思うからです。

 かく言う理由は、ここ数年、社会学にまつわる文献や両義的な語句、つまり同時に反面的な意味を含む語句(例えばLaïcitéなど)に関心を抱いていたから、かもしれません

 さらに、昨今、地域優先、現状追認、自国優先など、あまたと綴られる即物的価値を象徴するキーワード、『ポピュリズム』が跋扈していて、逆説的に好奇心を刺激されたからかもしれません。

 方丈記からは、期せずして自分の興味の要、好奇心の核を際立たせられたように思います。

 分野を跨いで、哲学の視点から、スラヴォイ・ジジェクはこう言います。

キルケゴールにとって、反復とは『反転した追憶』前方への運動、(新しいもの)の生産であり、(古いもの)の再生産ではない。("反復" - イノウエさん 好奇心 blog

 
 さらに。

カントの思想の『精神』を反復するためには、

カントの字義を裏切らなければならない。

カントの思想の核と、それを支える創造的衝動を実際に裏切ることになるのは、まさしくカントの字義に忠実であり続けるときなのだ。このパラドクスを徹底することによって、何らかの結論を引き出すべきだろう。

スラヴォイ・ジジェク、『大義を忘れるな』2010)

 

 寄り道すると、カントは平和や美の基準を徹底するために、公法や芸術の在り方に着想した人でした。なので、ジジェクは、カントの法(あるいは芸術批評)そのものに賛同するかどうかより、それらを新たに発見するような、『力』に着目する方が良い。そんな視点が、この箇所に綴られています。

 パラドクスとは、既存の字義や存在そのものの価値でなく、それを生み出した側の活力の価値という、あたかも同居しないような価値同士の矛盾を抱くこと、と解釈できそうです。

 
 最初に戻ると、『方丈記』から。 

 ぼくは、盛者必衰の比喩として投影される川そのものでなく、常に別の様相を呈して流れる川の躍動感という、愛情にも似た妙な感覚を、鴨長明から教えいただいたように思います。それは既に表面化された現実と、現実を生み出す側の価値との共存の感覚です。

 というわけで、そんなパラドクスを携えて、また頭を柔らかくしたいと思います。分野の定まらない話題で、読みにくいという方もいるかもしれないですが、、それはそれで、今日はよく眠れそうな気がします。快眠。


大義を忘れるな -革命・テロ・反資本主義-

大義を忘れるな -革命・テロ・反資本主義-

 

 

 
 

 

 

サイクス=ピコ協定と総選挙

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(2020/1/12 UPDATED)

 一週間ほど前、勤務させていただく市内図書館に予約していたとある本が届きました。半年かけて招聘されたその本とは、『サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』(池内恵、2016)です。

 2014年の夏。中東で勃興したイスラム国(IS)の誕生背景がこの図書を眺めると良くわかります。IS樹立の際に掲げられた「サイクス=ピコを越える」という黒装束の教徒のメッセージは何だったのでしょうか。
 現在の、不安定な世界の不思議を紐解くには、この『サイクス=ピコ協定』を始めとする大国の密約や帝国主義の凄みを知っておくことが助けになると思います。現在、日本の置かれている国際的な立場を知るためにも、この本は有意義でした。

 余談ですが、先般、北朝鮮に対して、『対話は通じない』と安倍総理が演説しており、その理由をいくつかの点から述べています。
 対話を続けようとしても、拉致問題は棚上げされたまま、相手には取り合う姿勢がない、などです。

 この著書に描かれた歴史に顕著なことは、外交は緊密に絡み合う大国のパワーバランスを、利害関係を調整して、どう利用して活用するか、ということでした。それが驚くような方法を用いて展開されているのがわかります。平和を維持するための外交も、二国間だけの対話で功を奏すものではないことが、想像されるのでした。

 特に朝鮮半島は、日本と同様、冷戦時代から対立の前線となる要衝だと思われます。イノウエの知るわずかな情報ですが、北朝鮮は過去、シリアと原発の開発技術で情報共有がなされていました。現在もその背景が続くとすれば、ロシアも利害関係にあります。とすれば、日本の対話する方向は多岐に渡るはずです。

 ところで、北朝鮮問題とは、まったく別に見えるサイバー空間でも、現在、米国とロシアの情報戦の苛烈さは増しており、10月に入って「アメリカがイスラム国殲滅の障害になる情報」をロシアが発表するほどです。
https://www.google.co.jp/amp/www.newsweek.com/russia-says-us-main-obstacle-final-annihilation-isis-678472%3Famp=1

 焦点の当たらない部分でも常に大国同士のせめぎ合いがなされているので、『対話は通じない』場合は、米露または中国に、どのように働きかけて不毛だったかを論拠にする方が、適切だと思えたのでした。池内さんなら、どう考えるでしょうか。

 ところで、「サイクス=ピコ協定」とはいったい、なんだったのか?本題に入ります。

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 この協定が、中東の混迷を招いた諸悪の根源と、報じられることがある、と著者は言います。

 かつて中東に広大な領土を占有したオスマン・トルコの国土を、第一次大戦後、戦勝国でどのように分割するかを決めたものが、この『サイクス=ピコ協定』でした。
が、実際には二転三転するものでした。

 1916年に合意を得たこの協定は、もともと、秘密裏に英仏露によって取り交わされましたが、1917年のロシア革命で露が離脱し、その後、レーニン率いるボリシェヴィキ政権がこの密約の存在を暴露します。
 そこで世間で言われるところの、勝手な国境の線引き。現在のトルコの大部分とシリア、そしてレバノンが、フランス領。
 イラク、ヨルダン、アラビア半島の大部分がイギリス領。
 コーカサスの南の一部やトルコ(アナトリア半島)の首都がロシア。
 首都とはコンスタンティノープルで、黒海と地中海を結ぶボスポラス•ダーダネルス海峡をロシアの領土とするはずだった密約を、世間が知ることになりました。

 ロシア帝国の崩壊後、フランスもイギリスも、サイクス=ピコ協定を結んだものの、それを実施する戦力や統治力を残しておらず、1920年には、諸地域に生活する人種や民族の、より自然な民族分布に近い国境が画策されるようになりました。その変更を条約化したのが、セーブル条約(1920)です。

 池内氏は、もし、現在の中東の混迷を、サイクス=ピコ協定など大国の恣意的な国境の線引きにあるとすれば、セーブル条約が誕生したことによって、後世の問題は解決されたはずだと、示唆します。

 セーブル条約の通りであれば現在、新聞紙面で取りざたされるクルド人の独立の問題となるクルディスタンも建国されるはずでした。

 では、このセーブル条約を破綻に追いやったのは、どこか、といえばオスマン帝国瓦解後のトルコ民族でした。彼らはオスマントルコの中心地だった、コンスタンティノープルを始めとするアナトリア半島全域を、実力で取り返し、トルコ共和国として延命したからです。裏を返せばトルコよりも強い統治主体がなかったからとも言えます。

 1923年、ほぼ現在の中東の国境と同様の区分けを用いたローザンヌ条約が採用されることになりました。

 また、サイクス=ピコ協定に向けられた批判の中心には、イギリスの二枚舌外交の問題があると言われます。いわゆる、ナショナリズムを煽り敵国の統制力を撹乱させた取引で、同時に同じ土地を別人種に与える約束をしたと言われますが、よくよく状況を見てみると、アラブ人の国はヒジャーズ国、のちにその血族の統治によるヨルダンとイラク国の譲渡がなされ、ユダヤ人の国、つまりイスラエル建国も、アラビア半島と重ならない地域に区分けされたので、約束は結果的には、反故にされず取引が成立しました。


フサイン=マクマホン協定を元にイギリスの先導したアラブ人(ファイサル1世率いる)部隊は、一時イギリス領を越え、フランス領マダガスカルにまで侵略するも、ヒジャーズ国と引き換えに撤退している)

 ちなみに、戦時中フランスはオスマン帝国内のキリスト教徒に対して、レバノンという国の建国を約束して、実行しました。

 この著書に書かれた史実だけを元に考察すれば、大国の問題は、二枚舌外交というよりも、もともと建国される地域で生活を営んでいた建国の民族以外の民族を排除してしまったことにあると、言えそうです。
 

 バルフォア宣言に基づくイスラエル建国にとってのパレスチナ難民、ローザンヌ条約以降のイラクやヨルダンのハーシム家スンニ派)に対するその他のスンニ派の排除によって、のちにビシャース王国は侵略され、現在のIS誕生の引き金となったからです。

 帝政オスマントルコ時代の圧倒的な勢力の元では、玉石混合の民族分布で、バランスが保たれていたものの、個々の民族や血統の結束と自治権を生かした結果、悲願の建国と引き換えに、今度はそれまでその地で生活していた少数派の人々の恨みを買ってしまう。これが、第一次世界大戦後に中東で起きた問題の中心だった、と感想を持ちました。

 こうして、巨大なイスラム帝国だったオスマントルコの衰退に合わせて生まれたサイクス=ピコ協定の強制力は脆弱で、ある時期、実現するかに思われたより自然な民族の繁茂に合わせた区画は、最終的にはトルコによって覆され、大国の二枚舌による杜撰な外交という批判は、当時は辛うじてではあっても、かつて解決されていた問題を、再び掘り起こした指摘だったことになります。

 さらに現在のイスラム系過激派組織の多数を占めるスンニ派に対しては、そもそも建国の約束まで果たしていた、という事になる。

 サイクス=ピコ協定そのものが諸悪の根源という指摘は、その全てが当てはまるわけではないと言えそうです。

 そんな感想を持たせる史実の証左が、豊富に記されていて、勉強になりました。建国に踏み切ることは多く禍根が残る。同一民族の文化の良さの価値と、見合いにした時に、いったい、何を守ろうとしたのか、改めてぶれない知恵が求められていることに痛感させられたのでした。

 

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【中東大混迷を解く】 サイクス=ピコ協定 百年の呪縛 (新潮選書)

【中東大混迷を解く】 サイクス=ピコ協定 百年の呪縛 (新潮選書)

 

カリアス書簡(つづき)

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『美と芸術の理論』ーカリアス書簡 シラー著から引用

1793年2月19日
さっそく昨日の話の解釈をすることにしましょう。(昨日の話)
第五の行為が美しいものである理由は(略)まったく我を忘れて、自分の義務を、やすやすとあたかも本能から出たかのように行ったからです。一言で言えば、自由な行為は、心情の自律と現象における自律とが、一致する時に美しい行為となるのです。美的評価においては、あらゆる存在は自己目的とみなされるからです。(略)

 上記は、シラーの解説の一部です。

心情の自律、と、現象の自律、について補足:
心情の自律とは、〇〇という目的のためでなく、自発的に自分へ義務を課すことです。また、現象の自律、というのは、見る人に負担をかけたり、考えさせたりしない、むしろ自由さを感じさせる現象です。
筆者補足

 まとめると、
 自発的な義務を担い、なおかつ、気軽さを伴う行為は、美学的評価を高くする。

 さらに噛み砕くと

 その人らしい意義ある振る舞いを、さらっとできる人は、かっこいい、と、シラーは言っている様子です。

 なお、義務や自律というと、いかにも堅苦しい感じがしますし、シラーが自らその人の学徒と称するカント本人は、それを「結果的に誰にも不利益を被らない行為」いわゆる道徳律、と言います。

 さらにこの道徳も人によって、独りよがりになりかねません。なので、経験的に検証することの大事さも語られます。

 ところで、シラーの例え話(前のブログ)では、多くの人が同様の責任感を想定しやすい状況として「貧困に窮した人を、助ける」といったデフォルト義務をあつらえました。

 命を救う=人類の義務、という図式に前触れなく導入しており、この点に疑問を抱く方がいれば、そういうことだと思います。

 例えば、利益を得ることは義務だと思う人、そもそも素通りすることに義務感を感じる人、などもいるかと思いますが、誰の不利益にもならない行為とは、結局、上記でいわれるところの自律的=美的な行動性向に収斂していきます。 

 そんなこんなで、美を定義づけようとする人たちは、芸術や視聴覚表現と同じように、行動規範に対しても、その「美」を当てはめていたので、面白いです。
 『美と芸術と理論』は、書店ではあまり置いていない書籍なので、調布の中央図書館の地下書庫で遭遇できたことが嬉しいです。

 

 彼らの言うところの『美』は、やがて政治哲学の分野でも語られます。
ハンナ・アーレントもその分野を代表する一人です。

 

美と芸術の理論―カリアス書簡 (岩波文庫 赤 410-2)

美と芸術の理論―カリアス書簡 (岩波文庫 赤 410-2)