イノウエさん好奇心blog(2018.3.1〜)

MachinoKid Research 「学習会」公式ブログ ゼロから始める「Humanitas/人文科学」研究

議論しない方が勇敢にみえる?

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足音

国民の良識は、常に、最良の軍勢である 

ウィリアム・O・ダグラス 訳:奥平康弘
基本的人権』1985 

 

奥平康弘さんの翻訳を少し眺めました。
基本的人権」ってなんだろう。

一ページ目からわかりやすかったので引用しました。

ペリクレスは言う。
行動の大きな障害となるのは、議論をすることではなくて、むしろ議論によって得られる行動の、準備のための知識を欠いていることにある。我々は行動を起こすに先立って、考えるという固有の力をもっているとともに、また行動するという力をも持っている。ところが多くの人は無知なるが故に勇敢である。しかし、じっくり考えた場合には、尻込みするのである

ウィリアム・O・ダグラス 訳:奥平康弘
『同著』 


議論は何も生まない、という話を聞いたことがある。だからまず行動しよう、というスローガンなどもたまに聞く。
上記では、議論が、行動の障壁となるとも書いている。

 

議論を経ない行動と、準備された行動と。

行動することの大事さでは、どちらも同じだ。

ただもし、考える習慣や知識のないままでは、
じっくり考えた場合には、結局、尻込みするそうだ。

そして、考えることが人間の権利のようだ。

勇敢でもろいより、考えて行動するほうが、人間ぽい

基本的人権

基本的人権

 

『カントの政治哲学講義録』ハンナ・アレント

 

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カトマンズにて

 

 

 ハンナ・アーレント(Hannah Arentdt 1906˜1975)

彼女は、西独ハノーファーに生まれたドイツ系ユダヤ人の政治哲学者です。戦時中はパリや米国へ亡命していました。

 人の考えることの大切さや、想像力に近い判断力の重要性に言及した人でした。アーレントの言うところの「判断力」は、政治そのものの存在理由でもありました。彼女は「人が人間らしく思考(判断)できる公共領域の確保」を、政治の第一の目的と考えました。

 どういうことか。

 彼女は、独裁政権下のナチスの高官、アイヒマンを研究の対象としましたが、皮肉にも、この時、彼女は二重の思考の欠如に気がついたのです。一つは、アイヒマン本人の、もう一つは大衆のものでした。

 アイヒマンに対する一般的な糾弾は、大量虐殺の実務を担った官吏に弁明の余地はない。というもので、この判断が人々の趨勢を占めました。
 一方、アーレントの糾弾は、2度と繰り返されてはならない惨事の根本原因、個人の判断力の限界に関わるものでした。

 終戦後、アイヒマン裁判の公聴会に足繁く出席した彼女は、当時、虐殺を指示した本人の責任能力の程度に着目しました。そして独裁政権下の人間の、思考能力の欠如に言及したのです。
 この振る舞いが同胞(ユダヤ人)の批判の対象となったことは、想像に難くありません。見方を変えれば凶悪犯を擁護したと誤解を招くからです。アーレントはNYのニュースクール大学の講義でこう語ったと言います。

もし我々がその場に居合わせず、関わりがなかったとするなら、我々は人を裁くことができない、と言う議論は、時に説得力を持つ。だが、もしそれが真実と言うことになると、司法行政も歴史の著述も全く不可能である。p148『カント政治哲学講義』

 「戦時中の人間の思考能力の程度など、亡命の第三者に判断できるものか」と、当時、非難されたでしょうか。
 彼女は、観察者の立場だからこそ、適切な判断を下せると考えました。アーレントは続けて、こう言います。

世論によって、我々の裁きが許される事柄は、人々の趨勢であり、要するに、区別がつけられないほどに一般的なものなのである。したがって我々は、例えば、全人民の集団的有罪や集団的無罪という理論が流行るのを見いだす。
(〜このことは)「個人の道徳的責任において判断するのを嫌がること」と結びついている。この判断力の萎縮がまさしく、アイヒマンの途方もない犯罪をまず第一に可能ならしめたものであった、ということは悲しい皮肉である。
P150『カント政治哲学の講義』

 と、考察したのでした。

 アーレントの伝えたところの「判断力」は、想像力、あるいは多数派に流されずに行動する、勇気に関わるものだと、言えそうです。

 ナチスの諸処の異常性が虐殺の原因にはなりえても、観察者の「判断力」を埋没させた人々の趨勢に、その萌芽があったと論じたアーレントの視線は辛辣です。

 そして、こう述べます。

人間精神の能力としての「判断力」、そしてこの能力の機能する条件としての人間の社交性、~これらの主題はすべて卓越した政治的意義を有しており、政治的な事柄にとって重要である。 P15 『カントの政治哲学の講義』

 判断力を支える社交性が、政治的に重要だと言います。

 さらに、下記を踏まえると、アーレント自身が、政治の目的を、人々の思考、判断力の保たれる環境の確保にある、と考えたのは確かなようです。
 アーレントはこの判断力こそ思考に関わる文化の本質であることに触れ、古代ギリシャの歴史家トゥキュディデスを引用します。

文化が示すものは、活動する人間によって政治的に確保された公共的領域が
〜その本質を発揮する空間を提供する、ということである。(トゥキュディデス)p153『カントの政治哲学の講義』


イノウエの個人事業、MachinoKidは、リサーチライブラリーと、アート作品の展示サポートを仕事にしているのですが、この調査活動と芸術活動をまたぐ活動は、まさに二つの領域をつなぐ「判断力」を共有する仕事のように思います。なので、アーレントをリスペクトしない訳にはいきません。

 年の瀬が近づいてきましたが、まだまだ話を広げられるように、来年も月一ペースでブログ続けたいと思います。(12/27updated)

 

 

カント政治哲学の講義 (叢書・ウニベルシタス)

カント政治哲学の講義 (叢書・ウニベルシタス)

 
アーレント政治思想集成 1――組織的な罪と普遍的な責任

アーレント政治思想集成 1――組織的な罪と普遍的な責任

 

 

パラドクスの空で眠る

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 『方丈記』(1212)の有名な一節を、改めて反芻してみると、今までと違う感覚に襲われました。そのことを今日は書いてみます。

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。

淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。

世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。 

 

 著者、鴨長明の、この書き出しは、世の中に常なるものはない。日本古来のいわゆる「無常観」を随筆に込めたものだと解説されます。

確かにそうなのだと思います。

 

 ですが、ふと感じることになった別の解釈をさせて貰うと、この随筆の肝は、愛情じゃないでしょうか。

 というのも、この川の流れに着目した時の長明さんの心情が、淀みに浮かぶうたかたの、その時の太陽に照らされた輝きや、移ろいゆく表情の豊かさなどの情景に基づくものだとしたら、この文は、無常を表しているというよりも躍動感や、哲学的な意味で言うところの「実存」を表していると思うからです。もっと言えば、川の情景への親しみの結果として、無常観が表現されたと思うからです。

 かく言う理由は、ここ数年、社会学にまつわる文献や両義的な語句、つまり同時に反面的な意味を含む語句(例えばLaïcitéなど)に関心を抱いていたから、かもしれません

 さらに、昨今、地域優先、現状追認、自国優先など、あまたと綴られる即物的価値を象徴するキーワード、『ポピュリズム』が跋扈していて、逆説的に好奇心を刺激されたからかもしれません。

 方丈記からは、期せずして自分の興味の要、好奇心の核を際立たせられたように思います。

 分野を跨いで、哲学の視点から、スラヴォイ・ジジェクはこう言います。

キルケゴールにとって、反復とは『反転した追憶』前方への運動、(新しいもの)の生産であり、(古いもの)の再生産ではない。("反復" - イノウエさん 好奇心 blog

 
 さらに。

カントの思想の『精神』を反復するためには、

カントの字義を裏切らなければならない。

カントの思想の核と、それを支える創造的衝動を実際に裏切ることになるのは、まさしくカントの字義に忠実であり続けるときなのだ。このパラドクスを徹底することによって、何らかの結論を引き出すべきだろう。

スラヴォイ・ジジェク、『大義を忘れるな』2010)

 

 寄り道すると、カントは平和や美の基準を徹底するために、公法や芸術の在り方に着想した人でした。なので、ジジェクは、カントの法(あるいは芸術批評)そのものに賛同するかどうかより、それらを新たに発見するような、『力』に着目する方が良い。そんな視点が、この箇所に綴られています。

 パラドクスとは、既存の字義や存在そのものの価値でなく、それを生み出した側の活力の価値という、あたかも同居しないような価値同士の矛盾を抱くこと、と解釈できそうです。

 
 最初に戻ると、『方丈記』から。 

 ぼくは、盛者必衰の比喩として投影される川そのものでなく、常に別の様相を呈して流れる川の躍動感という、愛情にも似た妙な感覚を、鴨長明から教えいただいたように思います。それは既に表面化された現実と、現実を生み出す側の価値との共存の感覚です。

 というわけで、そんなパラドクスを携えて、また頭を柔らかくしたいと思います。分野の定まらない話題で、読みにくいという方もいるかもしれないですが、、それはそれで、今日はよく眠れそうな気がします。快眠。


大義を忘れるな -革命・テロ・反資本主義-

大義を忘れるな -革命・テロ・反資本主義-

 

 

 
 

 

 

サイクス=ピコ協定と総選挙

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(2020/1/12 UPDATED)

 一週間ほど前、勤務させていただく市内図書館に予約していたとある本が届きました。半年かけて招聘されたその本とは、『サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』(池内恵、2016)です。

 2014年の夏。中東で勃興したイスラム国(IS)の誕生背景がこの図書を眺めると良くわかります。IS樹立の際に掲げられた「サイクス=ピコを越える」という黒装束の教徒のメッセージは何だったのでしょうか。
 現在の、不安定な世界の不思議を紐解くには、この『サイクス=ピコ協定』を始めとする大国の密約や帝国主義の凄みを知っておくことが助けになると思います。現在、日本の置かれている国際的な立場を知るためにも、この本は有意義でした。

 余談ですが、先般、北朝鮮に対して、『対話は通じない』と安倍総理が演説しており、その理由をいくつかの点から述べています。
 対話を続けようとしても、拉致問題は棚上げされたまま、相手には取り合う姿勢がない、などです。

 この著書に描かれた歴史に顕著なことは、外交は緊密に絡み合う大国のパワーバランスを、利害関係を調整して、どう利用して活用するか、ということでした。それが驚くような方法を用いて展開されているのがわかります。平和を維持するための外交も、二国間だけの対話で功を奏すものではないことが、想像されるのでした。

 特に朝鮮半島は、日本と同様、冷戦時代から対立の前線となる要衝だと思われます。イノウエの知るわずかな情報ですが、北朝鮮は過去、シリアと原発の開発技術で情報共有がなされていました。現在もその背景が続くとすれば、ロシアも利害関係にあります。とすれば、日本の対話する方向は多岐に渡るはずです。

 ところで、北朝鮮問題とは、まったく別に見えるサイバー空間でも、現在、米国とロシアの情報戦の苛烈さは増しており、10月に入って「アメリカがイスラム国殲滅の障害になる情報」をロシアが発表するほどです。
https://www.google.co.jp/amp/www.newsweek.com/russia-says-us-main-obstacle-final-annihilation-isis-678472%3Famp=1

 焦点の当たらない部分でも常に大国同士のせめぎ合いがなされているので、『対話は通じない』場合は、米露または中国に、どのように働きかけて不毛だったかを論拠にする方が、適切だと思えたのでした。池内さんなら、どう考えるでしょうか。

 ところで、「サイクス=ピコ協定」とはいったい、なんだったのか?本題に入ります。

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 この協定が、中東の混迷を招いた諸悪の根源と、報じられることがある、と著者は言います。

 かつて中東に広大な領土を占有したオスマン・トルコの国土を、第一次大戦後、戦勝国でどのように分割するかを決めたものが、この『サイクス=ピコ協定』でした。
が、実際には二転三転するものでした。

 1916年に合意を得たこの協定は、もともと、秘密裏に英仏露によって取り交わされましたが、1917年のロシア革命で露が離脱し、その後、レーニン率いるボリシェヴィキ政権がこの密約の存在を暴露します。
 そこで世間で言われるところの、勝手な国境の線引き。現在のトルコの大部分とシリア、そしてレバノンが、フランス領。
 イラク、ヨルダン、アラビア半島の大部分がイギリス領。
 コーカサスの南の一部やトルコ(アナトリア半島)の首都がロシア。
 首都とはコンスタンティノープルで、黒海と地中海を結ぶボスポラス•ダーダネルス海峡をロシアの領土とするはずだった密約を、世間が知ることになりました。

 ロシア帝国の崩壊後、フランスもイギリスも、サイクス=ピコ協定を結んだものの、それを実施する戦力や統治力を残しておらず、1920年には、諸地域に生活する人種や民族の、より自然な民族分布に近い国境が画策されるようになりました。その変更を条約化したのが、セーブル条約(1920)です。

 池内氏は、もし、現在の中東の混迷を、サイクス=ピコ協定など大国の恣意的な国境の線引きにあるとすれば、セーブル条約が誕生したことによって、後世の問題は解決されたはずだと、示唆します。

 セーブル条約の通りであれば現在、新聞紙面で取りざたされるクルド人の独立の問題となるクルディスタンも建国されるはずでした。

 では、このセーブル条約を破綻に追いやったのは、どこか、といえばオスマン帝国瓦解後のトルコ民族でした。彼らはオスマントルコの中心地だった、コンスタンティノープルを始めとするアナトリア半島全域を、実力で取り返し、トルコ共和国として延命したからです。裏を返せばトルコよりも強い統治主体がなかったからとも言えます。

 1923年、ほぼ現在の中東の国境と同様の区分けを用いたローザンヌ条約が採用されることになりました。

 また、サイクス=ピコ協定に向けられた批判の中心には、イギリスの二枚舌外交の問題があると言われます。いわゆる、ナショナリズムを煽り敵国の統制力を撹乱させた取引で、同時に同じ土地を別人種に与える約束をしたと言われますが、よくよく状況を見てみると、アラブ人の国はヒジャーズ国、のちにその血族の統治によるヨルダンとイラク国の譲渡がなされ、ユダヤ人の国、つまりイスラエル建国も、アラビア半島と重ならない地域に区分けされたので、約束は結果的には、反故にされず取引が成立しました。


フサイン=マクマホン協定を元にイギリスの先導したアラブ人(ファイサル1世率いる)部隊は、一時イギリス領を越え、フランス領マダガスカルにまで侵略するも、ヒジャーズ国と引き換えに撤退している)

 ちなみに、戦時中フランスはオスマン帝国内のキリスト教徒に対して、レバノンという国の建国を約束して、実行しました。

 この著書に書かれた史実だけを元に考察すれば、大国の問題は、二枚舌外交というよりも、もともと建国される地域で生活を営んでいた建国の民族以外の民族を排除してしまったことにあると、言えそうです。
 

 バルフォア宣言に基づくイスラエル建国にとってのパレスチナ難民、ローザンヌ条約以降のイラクやヨルダンのハーシム家スンニ派)に対するその他のスンニ派の排除によって、のちにビシャース王国は侵略され、現在のIS誕生の引き金となったからです。

 帝政オスマントルコ時代の圧倒的な勢力の元では、玉石混合の民族分布で、バランスが保たれていたものの、個々の民族や血統の結束と自治権を生かした結果、悲願の建国と引き換えに、今度はそれまでその地で生活していた少数派の人々の恨みを買ってしまう。これが、第一次世界大戦後に中東で起きた問題の中心だった、と感想を持ちました。

 こうして、巨大なイスラム帝国だったオスマントルコの衰退に合わせて生まれたサイクス=ピコ協定の強制力は脆弱で、ある時期、実現するかに思われたより自然な民族の繁茂に合わせた区画は、最終的にはトルコによって覆され、大国の二枚舌による杜撰な外交という批判は、当時は辛うじてではあっても、かつて解決されていた問題を、再び掘り起こした指摘だったことになります。

 さらに現在のイスラム系過激派組織の多数を占めるスンニ派に対しては、そもそも建国の約束まで果たしていた、という事になる。

 サイクス=ピコ協定そのものが諸悪の根源という指摘は、その全てが当てはまるわけではないと言えそうです。

 そんな感想を持たせる史実の証左が、豊富に記されていて、勉強になりました。建国に踏み切ることは多く禍根が残る。同一民族の文化の良さの価値と、見合いにした時に、いったい、何を守ろうとしたのか、改めてぶれない知恵が求められていることに痛感させられたのでした。

 

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【中東大混迷を解く】 サイクス=ピコ協定 百年の呪縛 (新潮選書)

【中東大混迷を解く】 サイクス=ピコ協定 百年の呪縛 (新潮選書)

 

カリアス書簡(つづき)

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『美と芸術の理論』ーカリアス書簡 シラー著から引用

1793年2月19日
さっそく昨日の話の解釈をすることにしましょう。(昨日の話)
第五の行為が美しいものである理由は(略)まったく我を忘れて、自分の義務を、やすやすとあたかも本能から出たかのように行ったからです。一言で言えば、自由な行為は、心情の自律と現象における自律とが、一致する時に美しい行為となるのです。美的評価においては、あらゆる存在は自己目的とみなされるからです。(略)

 上記は、シラーの解説の一部です。

心情の自律、と、現象の自律、について補足:
心情の自律とは、〇〇という目的のためでなく、自発的に自分へ義務を課すことです。また、現象の自律、というのは、見る人に負担をかけたり、考えさせたりしない、むしろ自由さを感じさせる現象です。
筆者補足

 まとめると、
 自発的な義務を担い、なおかつ、気軽さを伴う行為は、美学的評価を高くする。

 さらに噛み砕くと

 その人らしい意義ある振る舞いを、さらっとできる人は、かっこいい、と、シラーは言っている様子です。

 なお、義務や自律というと、いかにも堅苦しい感じがしますし、シラーが自らその人の学徒と称するカント本人は、それを「結果的に誰にも不利益を被らない行為」いわゆる道徳律、と言います。

 さらにこの道徳も人によって、独りよがりになりかねません。なので、経験的に検証することの大事さも語られます。

 ところで、シラーの例え話(前のブログ)では、多くの人が同様の責任感を想定しやすい状況として「貧困に窮した人を、助ける」といったデフォルト義務をあつらえました。

 命を救う=人類の義務、という図式に前触れなく導入しており、この点に疑問を抱く方がいれば、そういうことだと思います。

 例えば、利益を得ることは義務だと思う人、そもそも素通りすることに義務感を感じる人、などもいるかと思いますが、誰の不利益にもならない行為とは、結局、上記でいわれるところの自律的=美的な行動性向に収斂していきます。 

 そんなこんなで、美を定義づけようとする人たちは、芸術や視聴覚表現と同じように、行動規範に対しても、その「美」を当てはめていたので、面白いです。
 『美と芸術と理論』は、書店ではあまり置いていない書籍なので、調布の中央図書館の地下書庫で遭遇できたことが嬉しいです。

 

 彼らの言うところの『美』は、やがて政治哲学の分野でも語られます。
ハンナ・アーレントもその分野を代表する一人です。

 

美と芸術の理論―カリアス書簡 (岩波文庫 赤 410-2)

美と芸術の理論―カリアス書簡 (岩波文庫 赤 410-2)

 

 

美しさを定義した人たちの話

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リサーチサイトに新しい記事を更新しました。
www.machinokid.net

(9/6updated)
 ところで本日は美学の話を掲載することにしました。

 太宰治の著作として『走れメロス』という短編小説があります。これは友情という美学をテーマにしたものとして有名ですが、実は、この内容は、独詩人シラー(Schiller 1759-1805)によるものでした。
 ベートヴェンの第9の歌詞を書いたことも広く知られるシラーですが、友情や美について詳細に考察を重ねた哲学者でもありました。考察を重ね、そして「美」を定義したのでした。
 一般的に、誰にでも当てはまる共通の美しさはないと言われます。人によって解釈も違うからです。だとすれば、定義など、無理だと思うのが普通の感覚だと思いますが、どうでしょうか。

 ところで、シラーの美の構想の基礎となったといわれるカントは、著書『判断力批判』の中で、道徳の根底にあるものを美学という形で定義付けました。シラーの場合は、どのような論旨だったのでしょうか。追ってみたいと思います。

『カリアス書簡』の中の例え話は以下のようなものでした。

厳しく寒い日に、一人の男が追い剝ぎにあって、丸裸にされて倒れている。
 そこへ、一人の旅人が通りかかったので、彼は旅人に事情を訴えて救助を乞うた。旅人は心を動かされて言う、
 「まことにお気の毒です。私の持っているものを喜んで差し上げましょう。しかし、その他の助力を要求しないでください。あなたの様子を見ることは私には耐えられないから。向こうから人々がやってきているから、この財布をあの人たちに与えて、助けてもらいなさい。」

 その負傷した人は言った
 「あなたの志は良い。しかし人としての義務が要求するなら、苦痛をも見ることを忍ばなければなりません。あなたの財布に手を入れることは、あなたの弱い感情を少し押さえつけることの半分にも価いしないでしょう」

 この行為はどういうものであったか。
 功利的でもなく、道徳的でもなく、寛大でもなく、また美的でもない。ただ単に感情的であるにすぎないところの感動から生じた親切というだけです。

 第二の旅人が現れた。負傷した男は再び助けを乞うた。
 この人は金には惜しいが、しかし人としての義務は尽くしたいのである。そこで彼は言った、「もしあなたのために暇をつぶすと、私は1グルデンの損をするだろう。もし損をするだけの金をあなたがくれるなら、あなたを肩に背負って、ここから1時間足らずの僧院に連れて行ってあげましょう。」
男は答えていう、「賢いやり方である。しかしあなたの親切は、あなたにとって名誉あるものではないと言わなければなりません。向こうに馬に乗ってくる人が見える。たった1グルデンであなたが売る救助をあの人は無償で与えてくれるでしょう。」

 この行為はどういうものであったか。
 親切でもなく、義務を果たすのでもなく、慈悲でもなく、美でもない。ただ単に功利的であるというだけです。

   旅人が高飛車すぎて度肝を抜かれるほどですが、それはさておき、旅人の譬えから読み取れるのは、ただ感情的な親切心、損得、義務、高慢、美的行為、といった五つの特徴です。

 第三の旅人が負傷した男のそばに立ち止まって言った。


 「病身な私の体にとって唯一の保護であるこの外套を手放すのは私には苦痛です。また私は疲れているから、私の馬をあなたに手放すことも苦しい。しかし義務は、あなたを助けることを私に命令します。だからあなたは、この馬に乗って私の外套を着なさい。そこで私はあなたが助けられるところまであなたを連れて行ってあげましょう。」

 負傷した男は答えた、「あなたは感心な人です。あなたの誠意に対しては感謝します。しかしあなた自身も困っているのですから、私のために難儀をさせられません。向こうから丈夫そうな二人の人が来ます。その人たちに私を助けてもらいましょう。」

 この行為はどういうものであったか。
 それは、純粋に道徳的であった。なぜなら、その行為は感情の関心に反抗して、法則に対する畏敬の念から行われたからです。

 

 次に二人の旅人が傷ついた男に近づいてきた。(男は)彼らの不倶戴天の仇敵であり、その男を殺して仇を報いるために、後を追っていたのだった。
 男は言った「今や、あなたたちの憎しみと恨みとを果たしなさい。私があなたたちから期待することのできるものは死だけである。」
 「否」と彼らの一人が答える「我々は二人であなたを抱えて、あなたが救われることのできるところまで連れて行こうと思う。」(略)これに対してもう一人の男が冷ややかに答えた。「待て、私があなたを助けるのはあなたを許すからではない。あなたが惨めな状態にいるからだ」(略)

「私はどうなっても良い。高慢な敵のおかげで助けられるよりは、惨めな死の方を選ぶ。」彼は起き上がって立ち去ろうとした。


 その時、重い荷を背負った第五の旅人が近づいてきた。
 この旅人は彼を見るやいなや、自分の荷物を下に降ろして自ら進んでいう、「あなたは負傷している。そしてあなたはもう全く無力である。次の村はまだかなり遠い。あなたがそこへ行き着くまでに倒れてしまうだろう。私に背負われなさい。急いで連れて行ってあげよう。」

 

 この旅人の行為がなぜ美であるかを考えておいてください。





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友人・ケルナーに宛てた手紙より
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『美と芸術の理論』-カリアス書簡 シラー(1973)
訳 草薙正夫(1936、岩波書店

   最後の旅人、キザですね。
   美しさというよりも、キザの定義にも聞こえますが、そういうことをシラーは構想しました。どことなく、走ろメロス、を想起させます、なぜ、第五の旅人の行為は、美しいのかを、シラーは説明します。
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Shanghai Story

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 上海へ行かせて頂きました。
 現地では、最近、親しくさせてもらっている重慶出身の知人に会ったのですが、会話の内容も多岐にわたり良い時間でした。他愛のない話がほとんどでしたが、小籠包の話から、いつのまにか、中国政府の情報規制のことなどに話が至ると、ますます充実した話になりました。
 グーグルもLineもインスタも、アクセス制限を解除するVPNに接続しなければ使用できないことや、さまざま起こる惨事が、中央政府によって隠蔽されてきたことも、すでに市民の間にも漏れ伝わるところでした。この点に話が広がると、いつの間にか彼女の方から、このままではいけない、という危機感が発せられるようでした。
 というのも、聞けば、彼女の家系は代々、中国国税局に勤務しており、身内の稼業に対する不満が、まだ25歳の彼女の言葉の節々に反映されていたからです。いつの間にか、聞き役に徹する自分がいました。
 汚染の実態を公表しない〇〇という地域での官庁の応対や子供の病の実情など、悲惨なエピソードを伝え聞くあいだ、ぼくは、彼女の不満を和らげていました。
 わかるよ、日本もかつて公害を撒き散らすひどい国だった。と、若干、背伸びして共産党政府をかばう自分がいました。そんな社会の現状に興味のある彼女でさえ、天安門の話をほぼ知らなかったのは驚きでした。

 しばらく傾聴に徹していた僕の口から、「そういうけれど中国は悪いところばかりじゃない。むしろ偉大な国だ。」といった言葉が飛び出すまでには、それほど時間はかかりませんでした。そんなことを言える立場でもないし、経験もありません。
 昔ファインボーイズという、思春期の男子が読む書物に書かれていた呪文がふと思い出されました。そこには、女の子が彼氏の不満を漏らした時こそ、チャンス、責められる彼氏を擁護すれば、あなたの好感度はぐんと上がります!というような卑猥なことが書かれておりました。当時はその書物聖典のように扱いましたが、それとは全く関係ありません。また、彼女の辛辣な言葉に嫌気がさしたわけでもありません。
 ただしみじみと、中国は強大な国だと、思えたからです。
 僕が今回、訪れたのは上海と杭州でしたが、そこで見たことは印象深く、やがて自分を勇気づけるほどのものでした。ひとつは、夜景を生み出す中国の都市政策。もう一つは、寺院の景観です。

 当然ながら、一般的に市民の知る自由が制限されることは良いわけはなく、それどころか、過剰な敵意を生み出す歴史教育も、市民の生存権まで厭わない施政の危うさも言語道断で、どれも人権侵害に起因する根深い問題です。ですが、個人的には、国を経営する国家体制の現実味には感慨深いものがありました。実際に観光客で溢れるThe band 区域への資本の力の入れようにも夜景の人工的な電飾効果も驚かされました。
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 一方、仏教寺院の荘厳さにも、政府の強い方針を感じるものでした。荘厳というよりも、日本人から見たら、装飾過剰と思えるほど雅な仏像や、巨大な寺院建築にも人々は惹きつけられて、結局は観光客の溢れていることに、自分もその中の一人として感慨深い体験となりました。
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 そこに精神性の洗練されたものを感じたというよりも、まったく世俗的な視線に寄り添った娯楽の楽しみが、商業とあいまって、人々を上手に包み込んでいると思えたからです。上海の歓楽街の巨大な建造物の壁には多くの箇所に巨大な液晶が設置されていましたが、それも同様で、裏路地のうらぶれた風景とのギャップを感じさせるもので、街の大きな魅力となっていたように思います。
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 つまるところ、それらの国内外の人々の人心掌握にまつわる作為的な景観や方針に、中国共産党の国家経営の意気込みや凄みを感じたのだと思います。

 ところで、いつのまにか彼女は歩き出していました。スイカが食べたいとのことです。ふとしたついでに虹口区の八百屋で写した、この写真を見せました。
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 どうやら、この写真は気に入られたようで、帰国したら送って欲しいとのことでした。

 僕は偉そうにも無知ながら、日本にいる間、自分の国が、国の台所事情によって市民を犠牲にする国のように思えていました。きっと、その不満を拡大したような姿を、中国の街並みに見つけた気がしてなんとなく腑に落ちたのでした。
 政府は、政府で、台所事情を知っている手前、半ば強引な方針を打ち出すために、国連人権委員会だの、自由権規約との整合性がどうのこうのと、国際標準と、折り合いが難しくなっている様子も新聞紙面から見ても明らかです。この状況を、まったく擁護するわけでも、好きなわけではないですけど、中国を見て、まだまだ日本は平和で、そして豊かで、そして何より、知恵不足なんだと思わされました。逆説的ではありますが、反面教師中国を見て、未来を感じる旅になりました。
 とはいえ、上海の夜景がPM2.5の陰に浮かび上がっている姿は、なぜか悲惨な状況ではなくて、這い上がろうとする巨大な国の実像に見えて、奮いたつ、感じが自分の中にありました。
 帰国して間もなく、三日坊主でも良いから僕は国際情勢について、大学時代を思い出して文献を手探りでひっくり返しています。想像力を枯渇させない景色が頭に浮かび上がる、今回の上海リサーチは、実に良い生きた文献となりました。